聖書的ライフスタイル (クリスチャンライフスタイル)
2007.2.13(火)
スローライフ
これはまだ、私の頭の中だけで、そうしたいなーと憧れているものです。
今の時代、何かに付け速さが求められています。それは競争社会の必然で、人よりも早く成果を上げないとメジャー(major)となれないからです。また、人間の性質として計画を立てると、早くその完成を見たいという思いがあります。
そして、よくあることは、思うように事が進まずに、焦ったり、いらいらしたり、諦めたり。
ここで第一に考えたいことは、物事を実現、完成することが人生ではないと言うことです。人生とは日々の歩みであり、営みです。
一つの目標に向けて、共に協力し合いその働きに参加することです。或いは自分なりの働きを、心を込めて仕上げて行くことです。そこには速さは求められていません。
私はたまの休みに、妻から「お掃除お願いね」などと頼まれることがあります。自分なりの休みの計画もありますが、出来ないとも言えないので、掃除をしていると、自分の計画したものはほぼ不可能に思われてきます。
そうすると自分の計画は諦めて、掃除に熱中していきます。
第二に考えたいことは、大まかな考えですが、物事を早くすると言うことは、それだけ地球環境を悪化させ、危機を早めている事になると言うことです。
産業革命によって生活は便利になりましたが、環境は悪くなるばかりです。科学技術は環境を壊さないものだけにしたいですね。
しかし、競争社会の中で、これは実現不可能な状態に陥っています。
スローライフは、ゆっくりと過ごすと言うことだけではありません。その過程を楽しみ、あるいは質の高い最高のものを造る過程なのです。
PS 新幹線が速いのは、エネルギー消費の効率が悪く、資源の無駄使いです。(スロー新幹線になれば、それだけ時間はゆっくり流れるのに。) 因みにエネルギーの大半が北半球で消費されていると言うことも記憶しておかなければなりません。
《 競争社会の中で危機的状態に陥っている事への答え》
自分の主張をメジャーにするためには、経済力と武力を持って相手を打ち負かすことしかないのだろうか。一つの国家、一つの憲法によって、全てが会議(話し合い)によって解決されなければなりません。これを実現
するためにも、これを維持するためにも福音〔一人ひとりの心が平和になること〕が必要です。
《 聖書から》
"福音に生きる"ことを考えて行くと、速さを求められているところは思い当たりません。聖書は次のように言っています。「5:23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、:24その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。」(マタイによる福音書)
同じく「5:30 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。」
ここでは正しい供え物の仕方が述べられていますが、これは「速さ」よりも「質」が、身体については「量」よりも「質」が求められていると見ることが出来ます。