ヨハネによる福音書10:30
小隊のテーマソングでは「信じてごらんよ この世界変えるのは いま僕らさ」と歌っていますが、国を変え世界を変えるためには私たちが「神と一つになる」のでなければ実現する事はできません。
今日(きょう)はこの「神と一つになる」との目標に向かい4つ段階を経て学んで行きたいと思います。
一つ目は「王の王、主の主であられるお方の奴隷となる」と言う点です。ローマ6:16に「知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。」とあります。
私たちは罪の奴隷となるか、神の奴隷となるかのいずれかですよ、とここでは述べています。勿論私たちは神の奴隷となる事を選び取って行きたいと思います。しかし、この事は、口で言うほど簡単な事ではありません。これには相当の覚悟が必要です。
誘惑の時、名誉を傷つけられる時、経済の安定が脅かされる時、その様な時にもなお、神の奴隷である事を自覚する必要があります。神を第一とする時にだけ、私たちは神の奴隷となる事ができます。
テモテへの手紙6:15に次のように述べられています。「神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、6:16 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。」
私たちは神の奴隷ですが、私たちの主人は世界の「唯一の主権者」であり、「王の王、主の主」であられます。私たちはこのような偉大な、お方を主人としている者です。ですから喜んで「王の王、主の主であられるお方の奴隷となる」ことを選び取って行きたいと思います。
二つ目は「神を現す器となる」と言う事です。神は霊なるお方です。ですから誰も神を直接見る事はできません。ですから神様は私たちを通して、ご自身を現そうとしています。しかし、そのためには全てを神様に委ねる人が必要です。神様はその様な人を求めておられます。
神を現した最初の人は、イエス・キリストです。ヨハネ6:46に「父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。」とあります。神のもとから来たイエス・キリストが最初に神を現しました。イエス・キリストに続く者としてクリスチャンが立てられています。
三つ目は「神の性質を持つ」と言う事です。神を現すという事は即ち、神の性質を持つと言う事です。神の性質の第一のものは愛です。
マタイ5:45に「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」とあります。私たちはもはや怒ったり、腹を立てたり、いらついたりする事はできません。これらは神の性質ではないからです。
神様は愛をもって人々を見ています。神の愛が私の心を満たすので、私はどのように扱われようと、すべての人を愛していく者です。私の内におられる神が彼らを愛しています。神は私たちの身体を用いて地上を歩かれます。私たちは自分の意志を明け渡し、神の言葉が、神はどのような方であると語っているかに応じて歩まなければなりません。
四つ目は「神と一つになる」と言う事です。私たちは生きる目的と、その性質が神と一つになっている必要があります。私たちは神の御心を行う事が、人生の目的となるべきです。そして自分自身は神の愛の性質と一致していなければなりません。
私たちは「神と一つになる」ことなしに国を変え、世界を変える事はできません。イエス・キリストはこの地上に神の国をもたらすために私たちの元に来てくださいました。そして、私たちはその恩恵に与っています。それは素晴らしい祝福です。
その祝福をすべての人と共有するためには、私たち自身が「神と一つになる」事が必要です。
イエス様は言いました。「わたしと父とは一つである。」(10:30)。このイエス様の経験が私たちの経験でなければなりません。
神様はこの事をも実現してくださいますから感謝いたします。私たちは神様の国が私たちの内に実現している世界をイメージして参りましょう。
そうすると神様は、そのイメージを現実のものとしてくださいます。
《今日の聖書》
10:30 わたしと父とは一つである。
<要約>
国を変え世界を変えるためには私たちが「神と一つになる」のでなければ実現する事はできません。「神と一つになる」ために4つ段階について見ていきます。一つ目は「王の王、主の主であられるお方の奴隷となる」と言う事です。ローマ6:16に「知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。」とあります。勿論私たちは神の奴隷となる事を選び取って行きたいと思います。そのためには誘惑の時、名誉を傷つけられる時、経済の安定が脅かされる時にも神の奴隷である事を選び取って行く覚悟が必要です。「王の王、主の主」(テモテ6:15)である方だけが本当の祝福を与えてくださる事を信じて参りましょう。二つ目は「神を現す器となる」と言う事です。神は霊なるお方ですから誰も神を直接見る事はできません。神様は私たちを通して、ご自身を現そうとしています。神を現した最初の人は、イエス・キリストです。ヨハネ6:46に「父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。」とあります。神のもとから来たイエス・キリストが最初に神を現しました。イエス・キリストに続く者としてクリスチャンが立てられています。
三つ目は「神の性質を持つ」と言う事です。神を現すという事は即ち、神の性質を持つと言う事です。神の性質の第一のものは愛です。マタイ5:45に「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」とあります。私たちはもはや怒ったり、腹を立てたり、いらついたりする事はできません。これらは神の性質ではないからです。神様は愛をもって人々を見ています。四つ目は「神と一つになる」と言う事です。私たちは生きる目的と、その性質が神と一つになっている必要があります。私たちは神の御心を行う事が、人生の目的となるべきです。そして自分自身は神の愛の性質と一致していなければなりません。「わたしと父とは一つである。」(ヨハネ10:30)。このイエス様の経験が私たちの経験でなければなりません。私たちは神様の国が私たちの内に実現している世界をイメージして参りましょう。そうすると神様は、そのイメージを現実のものとしてくださいます。