キリスト教信仰の原典である聖書の最初に「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)とあります。
つまり神が世界を造られたと言う事です(宇宙から地球、生物、人間を)。そして人間だけが(見えない)神と交流が出来る者として造られました(本来常に神様との交流の中に生きる者でした)。人は神様を主とし、神様の意志に従って生きていました。
ところが人は神様との交流を止めてしまいました(つまりそれまでは従属する者でしたが、それを止めてしまい自分の思うがままに生きるようになりました)。
人は自由になったと考えがちですがそれは大きな間違いでした。つまり、神様に従属していた時には決して争いは起こらず、独りぼっちで寂しいとか、何のために生きているのだろうなどとも悩むことは無かったのです。
神様から離れてしまった人間は、動物と同じくただ本能のままに生きるものとなってしまいました。動物は弱肉強食で生きていますがそれは自然の原理(法則)であり調和が取れるようになっています。
しかし、人間は動物よりも遙かに高等なものとして造られているために本能だけで生きていたならば調和も取れなければ、平和も保てないし、幸福も得られません。
神様と共に歩んでいた時には、実に平和と幸福(つまり自由に伸び伸びと生きていました)の中に生きていました。ところが、神様から離れた事によって自由になったのではなく、人とぶつかってばかりいて、ちっとも伸び伸びと生きる事が出来なくなってしまいました。
ここに神様から使わされたイエス・キリストは神と共に歩むことの幸いを説き、神が被造物である人間を愛して止まない思いを伝え、その徴としてキリストを十字架刑にし、キリストが神である事の証明に3日目に甦らされました。
まだキリスト教信仰には幾つかの事がありますが、イエス・キリストを神とし救い主として信じるならば、かつての神と共に歩む人生に再び回帰する事が出来ます。