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-神は存在しておられる- 前へ / 後へ
「必要を求める」(100530ku)
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ヨハネによる福音書 16:16〜24
16:22 ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」
 
 
ヨハネによる福音書16章はイエス様との最後の食事の席でのことが述べられています。つまり最後の晩餐の時でした。
 今日の所でイエス様は繰り返し、十字架における死と復活について述べていますが弟子たちはいくら説明されても、何の事か分からない様子です。弟子たちにとって地上における王として来られたイエス様が十字架に掛けられ死んでしまうなどという事は到底考えられない事でした。
 未来の事を確実に理解し、知っている方は父なる神と、神の独り子で有られるイエス・キリストのみです。私たちは明日の自分がどうしているかも分からない者です。また、熊谷小隊の未来もどうなっているのか分かりません。
 
しかし、その様な知恵のない私たちですけれども、イエス様は私たちに希望を持って父に願いなさいと教えています。24節「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」
 私たちは日々祈り、集まるごとに祈っています。しかし、イエス様は「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。」と言っています。
 
つまり、まだまだ祈りの内容が小さすぎると、言っているのだと思います。私たちは現状を受け入れている所があるのではないでしょうか。勿論日々の恵みを感謝しなさいと教えられていますが、しかし、それと同時に、未来に向けて祈る事をイエス様は今日の所で勧めています。
 家族の事について更なる祝福を祈っていきたいと思います。何故ならイエス様は「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」と言っているからです。「喜びで満たされる」その様な経験を私たちはもっともっと体験すべきです。高柳和江さんは一日5回笑いなさいと勧めていますが、私たちは一日5回「喜びで満た」してください、と祈っていきたいと思います。
 
何故ならイエス様は「願いなさい。そうすれば与えられ」る、と言っているからです。私たちの未来は分からないと言いましたが、しかし、私たちが願った通りになります、とイエス様は教えてくださっています。私たちはもっと貪欲に願い求めて行きたいと思います。
 何故ならイエス様はそれを叶えてくださると約束してくださっているからです。私たちは人間の考えで、願う事を遠慮して小さな事しか求めていないのではないかと示されました。
どうぞ小さな事から、大きなことまで求めて行きましょう。何故なら求めた事が与えられるからです。
 
先日郵便局で何か商品が当たる応募券を戴きましたが、当たったら嬉しいなと思いましたので、出してみました。
これが応募券を出せば必ず当たるというものだったらなおさら応募券を出したと思います。
 神様が叶えてくださると言っている事は、その様な小さな商品よりも遙かに大きな事についても必ず与えられると言っているのですから、私たちは遠慮しないで求めて行きましょう。
 何故なら神様は私たちが歓喜にあふれて生きる姿を見ようとしておられるからです。
 
どうぞ家族について、仕事について、小隊の事について、地域社会について、日本の現状を憂いて、祈る事も出来ます。日本の救いのため、世界の救いのために祈りましょう。日本において最大の社会福祉を行っている人は総理大臣です。総理大臣は所得再配分の責任者です。総理大臣のためにも祈っていきたいと思います。
 
「求めなさい」と勧めている所が聖書には沢山記されていますのでその所を読んでみたいと思います。
 
マタイによる福音書
7:7〜 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。7:9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。7:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。7:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」
 
18:19「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」
 
21:21「イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。21:22 信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」
 
マルコによる福音書
「11:24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」
小さな事から大きな事まで、積極的に求めて行きましょう。神様は求める事を願っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<要約> 未来の事を確実に理解し、知っている方は父なる神と、神の独り子であるイエス・キリストのみです。私たちは明日の自分がどうしているかも分からない者です。しかし、その様な知恵のない私たちですが、イエス様は私たちに希望を持って父に願いなさいと教えています。24節「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」。私たちは日々祈っていますが、しかし、イエス様は「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。」と言っています。つまり、まだまだ祈りが十分ではないと言っています。私たちは現状を受け入れてしまっている所があるのではないでしょうか。未来に向けての必要を切実に祈る事をイエス様は今日の所で勧めています。
 
何故ならイエス様は「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(24)と言っているからです。「喜びで満たされる」その様な経験を私たちはもっともっと体験すべきです。高柳和江さんは一日5回笑いなさいと勧めていますが、私たちは一日5回「喜びで満た」してください、と祈っていきたいと思います。何故ならイエス様は「願いなさい。そうすれば与えられ」る、と言っているからです。イエス様は私たちが願った通りになります、と教えてくださっています。私たちはもっと積極的に願い求めて行きましょう。何故ならイエス様はそれを叶えてくださると約束してくださっているからです。私たちは人間の考えで、願う事を小さくしてしまっています。どうぞ小さな事から、大きなことまで求めて行きましょう。何故なら求めた事が与えられるからです。私たちは遠慮しないで求めて行きましょう。何故なら神様は私たちが歓喜にあふれて生きる姿を見ようとしておられるからです。どうぞ家族について、仕事について、小隊の事について、地域社会について、日本の救いのため、世界の救いのために祈りましょう。