ローマの信徒への手紙 6:15〜23
6:15 では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。6:16 知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。6:17 しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、6:18 罪から解放され、義に仕えるようになりました。6:19 あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。6:20 あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。6:21 では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。6:22 あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。6:23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
今回の大規模地震によって多くの人命が失われました。その犠牲者と家族に対して神様の慰めがあるようにお祈り致します。このような時、残された私たちは助け合いの精神を持つとともに、犠牲となった人たちの分まで命を大切にして生きていくことを覚えたいと思います。
このような時に誤解の無いようにしておきたいのですが、マスメディアはこれを自然災害と言っていますが、自然は人に害を与えるものではなく、人を生かすために造られているものであることを覚えたいと思います。地震は来るもの、台風は来るものとしてそれに備えていなければなりません。勿論不可抗力な面もありますが、しかし、だからと言って神に対してつぶやくことのないようにしなければなりません。
被造物である私たちはヨブを見習わなければなりません。ヨブ記1:21「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」とあります。
自然の法則は人間に恵を与えるために造られています。これがなければ私たちは生まれてくることも、生きていくこともできません。ですからその法則の中で最善に生きることを学ぶ必要があります。安全な所に住み、安全な住まいに住む必要があります。
誰も階段を踏み外して怪我をしたからと言って、神様が引力を造ったのが悪いという人は居ないと思います。引力があることで私たちは沢山の恵みに与っています。すべての自然の法則も恵として与えられています。地震はプレートテクトニクスと言う大陸の循環に伴うものです。
潮の満ち引きや台風や火山に至るまで、それは豊かな地球を維持するために造られているシステムです。
私たちはその自然の法則の中で生きることを学んでいきたいと思います。
さて、私たちは人間社会においても神様の法則の中で生きるのでなければ、真の平和と幸福を得ることができません。そしてそれは国の単位で実現される必要があります。ですから私たちクリスチャンは住んでいる国家が神の律法の中で営まれているかと言うことに注意を払っていきたいと思います。また、国の指導者が正しい判断ができるように彼らのために祈っていかなければなりません。
国家の変革、リバイバルの第一の原則は国民が主体であると言うことです。その国に住む一人一人が愛の原則に従って支え合う社会を築いていく必要があります。
16年前の1995年の阪神淡路大震災の時もそうでしたが、今回の大震災でも人と人との絆(きずな)、支え合いと言うことが今見直されてきています。このような時を最善に用いるためにもこのような愛の原則が永続的に保たれるように働きかけていきたいと思います。
第二の原則は国家的問題、社会問題の根はシステムや方法に問題があるのではなく、人々が抱えている罪にあると言うことです。アルコールやポルノ、不正、犯罪というものが広がっている中では国家の繁栄はあり得ません。すべての社会的、国家的問題の根は人々の中に潜んでいる罪に原因があります。どんなに法律を作っても罪の問題を解決していなければ社会を変えることはできません。
ですから国は宗教がもつ役割を最大限尊重する必要があります。
第三の原則は人々の罪が癒されるだけではなく、より積極的に聖さと正直を社会のシステムにしていくと言うことです。もとより法律は人の心を変えることはできませんから、国は霊的指導者とともに働く必要があります。
教育の現場でクリスチャン倫理が教えられていかなければなりません。長野小隊に居たときに、市長に意見を寄せるようにとの葉書が届いたときに、学校に宗教の時間を作って下さいと書いたことがありましたが、残念ながら却下されました。
しかし、これはついには実現致します。社会が変わるためには人が変わらければならないからです。
エゼキエル書36:26-27に「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。:27 また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。」とあります。
すべての人が神を恐れて生きる日がまもなくやってきます。
第四の原則は一致です。一つの集団になると言うことではなく、基本原則の下に協力し合う社会を実現していかなければなりません。
第五の原則は先を見通すことができると言うことです。家庭においてもそうですが、ただ何となく生きているのでは良い家庭良い国家を築くことはできません。常に将来像を描きそれに必要な施策を実施していかなければなりません。
さて、聖書は何といっているでしょうか。ローマ6:23には「罪が支払う報酬は死です。」とあります。私たちの社会から罪が取り除かれない限り、私たちが歓喜に溢れて生きることはできません。
ローマ6:14に「罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。」とあります。イエス・キリストは私たちの過去の罪を洗い清め、傷のないものとしてくださいました。私たちはもう罪に囚われる必要はありません。
私たち人間が何故罪を犯すかと言えば、それは希望がないからです。過去を振り返れば拒否され、無視され、顧みられることのない記憶の中に、いつしか、希望を失ってしまい、罪の奴隷となっていました。しかし、その傷は癒され、新しく生まれ変わり、聖く輝かしい者とされました。
ですから、これからは希望を打ち砕く罪に決して囚われてはなりません。私たちの未来には輝かしい未来が約束されていることを何時も心に描いていきましょう。
エレミヤ書29:11「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」とある通りです。
ローマ6:14に「あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。」とあります。この祝福の約束が、私たちの罪に対する勝利の原動力です。
私たちは神様の御心を積極的に実行していくことによって神様の祝福を勝ち取っていく一人一人でありたいと思います。マタイ11:12「彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲(おそ)われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。」とある通りです。
私たちの目標は神様の楽園であるエデンの園の住民となることであり、これに向かって全力を注いでまいりましょう。
ローマ6:22「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。」
<要約>
東日本大震災をマスメディアは自然災害と言っていますが、自然は人に害を与えるものではなく、人を生かすために造られているものです。地震は来るもの台風は来るものとしてそれに備えていなければなりません。決して神につぶやくことのないようにいたしましょう。また私たち人間社会においても神様の法則の中で生きる必要があります。またそれは国の単位で実現される必要があります。国家の変革とリバイバルの第一の原則は国民が主体であると言うことです。その国に住む一人一人が愛の原則に従って支え合う社会を築いていく必要があります。第二は国家的問題、社会問題の根はシステムや方法にあるのではなく、人々が抱えている罪にあると言うことです。ですから国は宗教がもつ役割を最大限尊重する必要があります。第三はより積極的に聖さと正直を社会のシステムにしていくと言うことです。「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。」(エゼキエル36:26)。すべての人が神を恐れて生きる日がまもなくやってきます。・・・第五は先を見通すことができると言うことです。常に将来像を描きそれに必要な施策を実施していかなければなりません。「それは平和の計画であって、将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ29:11)。私たちは輝かしい未来が約束されていることを何時も心に描いて進まなければなりません。
ローマ6:23には「罪が支払う報酬は死です。」とあります。私たちの社会から罪が取り除かれない限り、私たちが歓喜に溢れて生きることはできません。ローマ6:14に「罪は、もはや、あなたがたを支配することはない」とあります。イエス・キリストは私たちの過去の罪を洗い清め、傷のないものとしてくださいました。私たちはもう罪に囚われる必要はありません。私たち人間が何故罪を犯すかと言えば、それは希望がないからです。過去を振り返れば拒否され、無視され、顧みられることのない記憶の中に、いつしか、希望を失ってしまい、罪の奴隷となっていました。しかし、その傷は癒され、新しく生まれ変わり、聖く輝かしい者とされました。ですから、これからは希望を打ち砕く罪に決して囚われてはなりません。ローマ6:14に「あなたがたは恵みの下にいるのです。」とあります。この祝福の約束が、私たちの罪に対する勝利の原動力です。私たちは神様の御心を積極的に実行していくことによって神様の祝福を勝ち取っていく一人一人でありたいと思います。マタイ11:12「彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。」とある通りです。「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。」(ローマ6:22)