road_ar(ロードアラ)メッセージ    ホームへ             《希望がある》  category
メッセージリストへ
-希望がすべてを完成させます- 前へ / 後へ -キリストにある文化の創造-
「環境に負けるな」(110417ku)
    注:スタートをしない時は”最新の情報に更新”をしてください。
 
使徒言行録 16:22〜34
16:22 群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。16:23 そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。16:24 この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。 16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。16:26 突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。16:27 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。16:28 パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」 16:29 看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、16:30 二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」16:32 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。16:33 まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐにバプテスマを受けた。16:34 この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。
 
 
<要約> フィリピで伝道をしていたパウロたちは、人々の反対を受けて鞭で打たれ、足枷をはめられ、牢に入れられました。私たちの日毎の現実も平安ということが出来ません。しかし、パウロ達は25節を見ますと「賛美の歌をうたって」いました。目に見える現実は非常に厳しいものがありましたが、しかしその時にも賛美がありました。何故でしょうか。普通このような時はあきらめと失意と、また世を恨むと言うことがあります。これは「環境に負けない」ではなく「環境に負けている」状態です。周りの状況が良くなければすぐに目標を諦めてしまい、目的を達成することができません。これが「環境の奴隷」となっている状態です。私たちも何度このような状態を経験したことでしょうか。多くの人が如何に「環境の奴隷」になっていることでしょう。「環境の奴隷」と言うのは言い換えると「サタンの奴隷」と言うことです。サタンは私たちの良い思いを打ち砕くために、私たちの前に立ちはだかります。ですから目に見える現実は本当の現実ではありません、と言う事が言われている訳です。
 
本当の現実は神様の約束のみです。ですからパウロ達は逆境と見える状況の中にも賛美を捧げていました。決して人々を恨んだり世を批判したりはしていません。そうではなく彼らを愛し、彼らのうちにも救いが訪れることを信じていました。これが信仰です。また人々のリーダーとなるには「環境を奴隷とする」強さと、動ずることのない態度をもって、人々の前に立つと言うことが必要です。諺に「武士は食わねど高楊枝」と言うのがあります。クリスチャンも豊でなくとも神によって非常に高くされているのですから、そのような動ずることのない姿勢を持っていきましょう。全国に店舗を展開しているムラサキスポーツの金山元一さんは「お金を持っていないからと言ってその貧しさを表していては、ますます貧しくなるばかりです。お金はいくらでもあります、と言うような態度で物事を進めていくとお金は集まってきます」と言っていました。神様の豊かさを現していくときに人々は引きつけられます。自信を持って人々の前に立つことができるように自らを訓練してまいりましょう。イエス様は十字架の後に来る栄光の復活を望み見て十字架に向かって進まれました。それは、私たちすべての人が神様の祝福の内に生きる者となるためでした。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10:10)。イエス様の御業を無駄にすることの無いように、神様の恵の内を進んでまいりましょう。