road_ar(ロードアラ)メッセージ    ホームへ             《希望がある》  category
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「希望」(111030ku)
 
エレミヤ書29:10〜14
29:10 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたらすぐに、私はあなたがたを顧みる。あなたがたをこの場所に帰らせるという私の恵みの約束を果たす。11 あなたがたのために立てた計画は、私がよく知っている ーー主の仰せ。それはあなたがたに将来と希望を与える平和の計画であっ て、災いの計画ではない。12 あなたがたが私を呼び、来て私に祈るなら ば、私は聞く。13 私を捜し求めるならば見いだし、心を尽くして私を尋ね 求めるならば、14 私は見いだされるーー主の仰せ。私はあなたがたの繁栄 を回復する。あなたがたをあらゆる国々に、またあらゆる場所に追いやっ たが、そこからあなたがたを集めるーー主の仰せ。私はあなたがたが捕囚 となった元の場所へあなたがたを帰らせる。
 
 
 イスラエルが分裂してから、約350年、国は続きましたが、後半の200年間は、預言者によって繰り返し、神に立ち帰るようにとの警告が成されました。しかし、ついにその警告が実を結ぶことはありませんでした。
 人の心のかたくなな性質というのは、これは人の力ではどうすることも出来ないと言っても良いと思います。
 
私が20才の時に、勤めていた会社の上司から、「田舎に行って頭を冷やしてくるように」、と言われた時には、私はそれまで二十歳になって、自分は大人だと思っていましたが、その時はまるで子供が親から叱られた時のように、情けなくて涙が出て止まらないような始末でした。
 この時はまだ、正真正銘の子供であって、まだその心が、柔らかい状態だったと言えると思います。ですから素直に自分の非を認め悔改めの涙が出て来ました。裁きを当然の報いとして受け入れました。
 
しかし、イスラエルの民族、また、イエス様が来られた時代のイスラエルの指導者達は、自分たちの非を認め、悔い改めることがありませんでした。
イスラエル民族は元々、神様によって立てられた、神制国家でした。その頂点に達したのが、ダビデ、ソロモン王の時代でした。彼らは誤りがあったとしても、神に対する姿勢は一貫していました。神様への信頼と服従によって国はいよいよ堅く立っていきました。
 しかし、その後の350年に於いて、隣国からの脅威に対して、神様に信頼することなく、偶像礼拝に走り、正義を軽んじる生き方をしていながら、イスラエルは神によって立てられ守られている、と自信過剰で、傲慢な姿勢を続けていました。
 
度重なる預言者の警告にも耳を貸すことがありませんでした。エレミヤの時には、その預言の内容は「もう神の裁きは免れ得ないから、バビロンに速やかに降伏するように」と言う内容です。
 しかしこの警告にも従わず、ついに紀元前586年エルサレムは火で焼かれ廃墟となり、人々はバビロンへ連れて行かれました。その捕囚の人々に宛てて書かれたエレミヤの手紙が今日のテキストの所です。その内容は「70年の後に再びエルサレムに帰ることが出来る」と言うものでした。
 14節「わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。」
イスラエル民族は、エルサレムが完全に破壊され、廃墟となったのを見て、初めて我に返り、本心に立ち帰ったということが出来ます。それまでの高慢な思いが、神様の裁きを通して砕かれることが出来ました。
 ヘブライ12:11「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後(あと)になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」
神の裁きは決して喜ばしいものではありませんでしたが、彼らはそれによって我に返り、神様のもとへ帰っていきました。
 
捕囚を通して彼らは、イスラエルは神によって立てられ、神によって保たれていたと言うことを自覚し、信仰が確立されていきます。
 捕囚の民に宛てられたエレミヤからの神の言葉は「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(11) と言うものでした。
 
将来と希望とは悔い改めて、父なる神に全き信頼を置く者に与えられるものです。
 この時から約600年後、イエス・キリストが、世界の希望としてイスラエルに御降誕されました。
彼らにとってはかなり未来のことではありましたが、エレミヤが希望と言ったのは、紛れもなく、イエス・キリストを指して言っています。イエス・キリストによって私たちは平和と、将来と希望を手にすることが出来ました。
 イスラエルはこの希望を手にするために大きな犠牲を払いましたが、私たちは彼らと同じ道を辿る必要はありません。私たちは聖書を通して、教えられているからです。
 イエス様は言いました。ヨハネによる福音書15:4「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」
 イスラエルは長く神様から離れてしまったために、国は衰退し、混乱が続きました。
 
イスラエルの長く続く試練の時、彼らを支えたものは、やがてイスラエルの救い主であるメシアが来られるとの希望でした。今は、生活には困難がある、しかし、将来には確実に祝福があるとの希望の故に、イスラエルの人たちは日々の生活を平安の中に努力を積み重ねることができました。
 今私たちは「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(コリU6:2)と言う時代に生きていますが、更にイエス様が再び来られるとの確かな希望の故に、私たちは日々の生活に平安と努力とを積み重ねることができます。また、神様の聖さの中に留まることができます。
ローマ8:28「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
私たちの日々の働きは、決して無駄になることはありません。私たちは希望によって生きるならば、また、人々の希望となることができます。人々に勇気と希望をもたらします。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ29:11)
 
「将来と希望」とは悔い改めて、神に立ち帰り、父なる神に全き信頼を置く者に与えられるものです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<要約> イスラエル民族は元々、神様によって立てられた、神制国家でした。その頂点に達したのが、ダビデ、ソロモン王の時代でした。彼らは誤りがあったとしても、神に対する姿勢は一貫していました。神様への信頼と服従によって国はいよいよ堅く立っていきました。しかし、その後の350年に於いて、隣国からの脅威に対して、神様に信頼することなく、偶像礼拝に走り、正義を軽んじる生き方をしていました。度重なる預言者の警告にも耳を貸すことがありませんでした。エレミヤの時代には、その預言の内容は「もう神の裁きは免れ得ないから、バビロンに速やかに降伏するように」と言う内容です。しかし、この警告にも従わず、ついに紀元前586年エルサレムは火で焼かれ廃墟となり、人々はバビロンへ連れて行かれました。
 
イスラエル民族は、エルサレムが完全に破壊され、廃墟となったのを見て、初めて我に返り、本心に立ち帰ったということが出来ます。それまでの高慢な思いが、神様の裁きを通して砕かれることが出来ました。ヘブライ12:11「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後(あと)になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」。神の裁きは決して喜ばしいものではありませんでしたが、彼らはそれによって我に帰り、神様のもとへ帰っていきました。捕囚を通して彼らは、イスラエルは神によって立てられ、神によって保たれていたと言うことを自覚し、信仰が確立されていきます。捕囚の民に宛てられたエレミヤからの神の言葉は「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(29:11)と言うものでした。。将来と希望とは悔い改めて、父なる神に全き信頼を置く者に与えられるものです。この希望はイエス・キリストを指しています。イエス・キリストによって私たちは平和と、将来と希望を手にすることが出来ました。イスラエルの長く続く試練の時、彼らを支えたものは、やがてイスラエルの救い主であるメシアが来られるとの希望でした。今私たちはイエス様が再び来られるとの確かな希望の故に日々の生活の中に平安と努力とを積み重ねることができます。また、神様の聖さの中に留まることができます。ローマ8:28「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。私たちの日々の働きは、決して無駄になることはありません。私たちは希望によって生きるならば人々の希望となることができます。また、人々に勇気と希望をもたらすことができます。「将来と希望」とは悔い改めて、神に立ち帰り、父なる神に全き信頼を置く者に与えられるものです。