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「人々は待っている」(100905ku)
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ローマの信徒への手紙8:19〜22
8:19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
 
 
 
 
「被造物は虚無に服してい」る(ローマ8:20)。これが世界が抱えている課題です。人は神の霊によって造られたものです。ですから人は神無しで生きることは出来ません。
 ところが現代社会は如何でしょうか。政教分離や、宗教の自由の名の下(もと)に、公の場から宗教が排除され、神が否定され、人は全てのことを自分で考え行動すべきものと考えられています。
 しかし多くの人が、自分が生まれて来た意味が分からず、安易に自らの命を終わらせてしまっています。
 
また、ある人々は心の空虚を埋めるために、奔走し疲れた状態です。また、自己の欲求を満足させることしか考えないために、争いの絶えない世界となってしまっています。
 「被造物は虚無に服してい」る(ローマ8:20)。これが世界の現状です。
22節に「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」とある通りです。
 
 本来、人は神と共に生きるものとして創造されているにもかかわらず、神無しの世界を造ろうとしている所に根本的な間違いがあります。
 本来、政治であっても、学校であっても、神無しでは成り立たないものです。かつての神政国家である、イスラエルでは政治であっても家庭生活であっても、全ての出来事の上に、神に聞くことから始まっていました。預言者、士師、祭司、王が神に導かれていました。
 
しかし、現代ではその様な世界を見ることが出来ません。
8:21節では「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれる」と言っています。
 「滅びへの隷属」、これが私たちが身の回りで目にする光景です。人々は互いを批判し、悪口を言い合っています。神無き世界では、愛のない言葉で満ちています。
 
8:19節では「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。」とあります。「神の子たち」とは他でもありません、私たちクリスチャンのことです。「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでい」る。これが現代の状況です。
 
世の人々は心の空虚を埋めるために偶像礼拝に陥ったり、名声や、金銭を求めたりしています。しかし、それらは「滅びへの隷属」でしかありません。
 人々は今、その様な「滅びへの隷属」からの救いを求めています。8:22節「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」、とあります。
 
このような「心の空虚」から解放するものは創造者である神に因るほかにありません。そしてそれを伝え得(う)る者はクリスチャンである私たちです。私たちクリスチャンは今、人々から求められている存在です。
 ですから私たちはもっと神の側に立つ者として因り、神に信頼し、神様からの霊の命を頂き、人々に届けなければ成りません。
 
人々は神など必要ないと、忙しくしていますが、それは自分自身で気付いていないだけのことで、彼らが真に求めている者は神の霊です。
 金曜日にも個人接戦でトラクト配布をしましたが、「全ての人が神を必要としている、神を求めている、全ての人がイエス・キリストを受け入れ、一つとなることが出来る」と信じて一人一人に接しました。
 
目で見える状況は、無関心ですが、心の目で見る時に人々の暖かさ、優しさを見ることが出来ます。人々はクリスチャンに対して好意的であり、もっとクリスチャンが、私たちの世界で活動をして欲しいと願っていることが分かります。
 
8:19節「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。」。これが人々の本当の姿であることを信じてください。家族であってもそうです。友人知人であってもそうです。隣近所の人もそうです。忙しく道を行き交(か)っている人もそうです。
 人々は待っています。私たちが神について語ることを。
神の国の原則は「愛、平和、公正、憐れみ、善意、優しさ、一致、同情、聖さ」、です。これらの原則を全ての人に適用していきたいと思います。
 
聖書が言うゴールデンルールとは「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」(ルカ6:31)ですが、私はより積極的に「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)をゴールデンルールとしたいと思います。
 
 自分に対して好意を示さず、返って反感を持っている人、その人を愛し、祈りなさいと、勧めています。まずイメージしましょう。好意を示している状況を。一度や二度ではイメージ通りにならないかもしれません。しかし、御心に叶ったイメージは必ず実現いたします。
 
7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタイ)
 これがイエス様からの約束です。そしてこの地上は遂にキリストの贖いに浴する時がやってきます。
 
「8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」
とある通りです。御言葉を信じる、これが神を信じると言うことです。
 神様と共に歩む世界に導かれていることを感謝しつつ、神様の言葉が実現することを求めて努めてまいりましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<要約> 「被造物は虚無に服してい」る(ローマ8:20)。これが世界が抱えている課題です。人は神の霊によって造られたものです。ですから人は神無しで生きることは出来ません。ところが現代社会は政教分離や、宗教の自由の名の下に、公の場から宗教が排除され、神が否定され、人は全てのことを自分で考え行動すべきものと考えられています。しかし多くの人が、自分が生まれて来た意味が分からず、自らの命を絶っています。また、ある人々は心の空虚を埋めるために、奔走し疲れた状態です。また、自己の欲求を満足させることしか考えないために、争いの絶えない世界となっています。「被造物は虚無に服してい」る(ローマ8:20)。これが世界の現状です。しかし、8:21節に「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれる」とあるように全ての人々の救いの時が来ています。8:19節では「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。」とあります。「神の子たち」とは私たちクリスチャンのことです。「心の空虚」を満たすには創造者である神に因るほかにありません。そしてそれを伝え得る者はクリスチャンである私たちです。私たちクリスチャンは今、人々から求められている存在です。
 
ですから私たちはもっと神の側に立つ者として因り、神に信頼し、神様からの霊の命を頂き、人々に届けなければ成りません。神の国の原則は「愛、平和、公正、憐れみ、善意、優しさ、一致、同情、聖さ」です。これらの原則を全ての人に適用していきましょう。金曜日にもトラクト配布をしましたが、「全ての人が神を必要としている、神を求めている、全ての人がイエス・キリストを受け入れ、一つとなることが出来る」と信じて一人一人に接しました。目で見える状況は、無関心ですが、心の目で見る時に人々の暖かさ、優しさを見ることが出来ます。人々はクリスチャンに対して好意的であり、もっとクリスチャンが、私たちの世界で活動して欲しいと願っていることが分かります。私たちが持っている宝(神の霊)を人々と分かち合いましょう。人々が好意を示している状況をイメージしてください。御心に叶ったイメージは必ず実現いたします。