road_ar(ロードアラ)メッセージ    ホームへ             《クリスチャンとしての使命》  category
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-召されていることを悟るなら- 前へ / 後へ -人々の希望となる-
「神は私たちの味方です」(101212ku)
 
士師記3:5〜11
 
コリントの信徒への手紙U6:2に「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」とあるように、イエス様の到来によって、私たちは神様の素晴らしい祝福と恵みに与る者と変えられました。
しかし、その霊的な祝福を目に見える祝福に変えるためには、私たちが住む地上が、神の国の秩序によって治められなければなりません。そのためには、先週学んだ事ですが、私たちが人々の前に「神を現す」と言う事でした。
行いを伴なう、信仰 (ヤコブ2:17) が必要ですという事でした。
これによって遂に私たちの地上に神の権威が打ち立てられます。私たちは消極的に手をこまねいている時代は終わりました。神の子ども達が世を治める時代が到来しています。
 
神様が私たちの言葉と行動を支持してくださっていると知る事によって、私たちはどんな試練と迫害の中にあっても強く、しっかりと立ち、勇気を持つ事ができます。
地上に神の秩序をもたらそうとしているクリスチャンを、神様は決して見捨てる事はありません。神様は、私たちに与えられた権威を支える、十分な力を持っておられるお方です。
私たちは恐れる必要はないと言う事を忘れてはなりません。私たちは平和を作り出す者達ですが、同時にキリストの軍隊でもあります。神の真理と正義を地上にもたらすように召されています。ですから、神様は私たちの味方です。
 
社会全体が祝福されるためには、その活動が神の真理にもとずいている必要があります。ですから、誰かが世に出て行って神の言葉を人々に伝えなければなりません。神の原則に従ってどう生きるのか。
これが出来るのはクリスチャンであり、教会です。クリスチャンは神の真理によって武装し、救いと贖いを世の人々に伝えなければなりません。
 クリスチャンは、人々を世の惑わしから、悪魔の偽りから、悲しみと苦しみと失望から解放しなければなりません。私たちはサタンの束縛から、人々を解放するようにと召されています。
 
イスラエルの歴史の中にも同じ事が繰り返されています。イスラエルの士師の時代にありました。
(士師記3:5-11)「イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住んで、3:6 彼らの娘を妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えた。3:7 イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、彼らの神、主を忘れ、バアルとアシェラに仕えた。3:8 主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡されたので、イスラエルの人々は八年間、クシャン・リシュアタイムに仕えなければならなかった。
3:9 イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。これがカレブの弟ケナズの子オトニエルである。3:10 主の霊が彼の上に臨み、彼は士師としてイスラエルを裁いた。彼が戦いに出ると、主は、アラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡してくださったので、彼の手はクシャン・リシュアタイムを抑えることができた。」(士師記3:5-10)
 
ちょうどイスラエル人と同じように、私たちも世の人々の間に住んでいます。この人たちは、神でない偽りの神々に仕えています。お金という神、セックスという神、ポルノという神に仕えている人もいます。仕事や子供を神とする人たちもいます。この世には沢山の偶像があって、それが人々の生活を破壊しています。
 しかし、まことの神は唯一であり、このお方は私たちにイエス・キリストを送ってくださり、その代価によって私たちを救い、私たちを義としてくださいました。私たちは世の偶像に仕えるならば滅びるほかありません。私たちは、まことの神様に仕えない限り、未来はありません。神は私たちの優先順位の第一位にならなければなりません。
 
私たちは神にだけ仕え、従い、その働きに従事します。イスラエルはこの事を悟らず、ただ周囲の人々に同調して生きたいと願いました。今日(こんにち)の人々も、当時のイスラエル人と同じように世間に同調して生きたいと思っています。それで、自分を破滅に陥れるような重大な間違いを犯してしまう人達がいます。神の法則を破る事によって当然受ける事になる罰を「みんながやっているから」と言って免れると思っています。
 そのような中に教会は、人々の目を開いて、神以上に高い権威は存在しない事を示す必要があります。人生において神よりも大切なものは他にありません。
 
神が誉れを受けない社会は本当の意味で成功する事はできません。教会だけが、この世が人々に吹き込んでいる惑わしを砕き、間違った社会通念を打ち破る事ができます。教会だけが、神の言葉によって人生を立て直す方法を教える事ができます。教会だけがあらゆる階層において、人間関係を修復し、社会の害毒と危機から人々を解放する事ができます。
 この世は、娯楽や楽しみに見せかけて人々を誘惑し、罠に陥れます。そして人々は、「別に悪い事ではない」と言ってその快楽の虜になってしまっています。
 
神様は人間が自由であるようにと創造されました。しかし、真の自由を得るためには、人は神の原則に従わなければなりません。教会は自由の道を世の人々に示さなければなりません。この世は、痛みと無知の中でうめき苦しんでいます(ローマ8:19-22)。自分たちを守る事になる神の原則について、ほとんど何も知らないからです。
 
私たちクリスチャンは聖書に記されている過去の教訓に学び、人々と国々を開放する解放者となるよう召されています。
(士師記3:9-10)「イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。これがカレブの弟ケナズの子オトニエルである。3:10 主の霊が彼の上に臨み、彼は士師としてイスラエルを裁いた。彼が戦いに出ると、主は、アラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡してくださったので、彼の手はクシャン・リシュアタイムを抑えることができた。」(士師記3:9-10)
 
教会は救助者を生み育てる土壌とならなければなりません。かつてのイスラエルのように現在の社会は各分野で危機にさらされています。このまま何も変わらなければ、社会においても人生においても、すべてのものが崩壊への一途をたどる事になります。
 旧約聖書は現代を象徴的に表しています。歴史の教訓は、今日(こんにち)の私たちにとって有益です。聖書に記されていた歴史的事実は、私たちが彼らと同じ間違いをしないように、神によって与えられた教訓です。 私たちクリスチャンだけがその歴史の教訓に学び、人々の救助者、解放者となり、人生を改善していく事ができます。教会は国を再建していく、その先頭に立たなければなりません。
 
イエス・キリストの降誕によって「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(コリントU6:2)との御言葉が実現いたしました。そして、その祝福を伝える者に、神様は味方となってくださっています。
 
 
 
 
 
 
《今日の聖書》
3:5 イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住んで、3:6 彼らの娘を妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えた。3:7 イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、彼らの神、主を忘れ、バアルとアシェラに仕えた。3:8 主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡されたので、イスラエルの人々は八年間、クシャン・リシュアタイムに仕えなければならなかった。3:9 イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。これがカレブの弟ケナズの子オトニエルである。3:10 主の霊が彼の上に臨み、彼は士師としてイスラエルを裁いた。彼が戦いに出ると、主は、アラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡してくださったので、彼の手はクシャン・リシュアタイムを抑えることができた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<要約> 主の御降誕によって「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」(コリントU6:2)が実現しました。しかし、その霊的な祝福を目に見える祝福に変えるためには、国が神の御国の秩序によって治められなければなりません。そのためには私たちが人々の前に「神を現す」と言う事が必要です(ヤコブ2:17)。神様が私たちの言葉と行動を支持してくださっていると知る事によって、人々の前にしっかりと立ち、勇気を持つ事ができます。神様は、私たちに与えられた権威を支える、十分な力を持っておられるお方です。私たちは神の真理と正義を地上にもたらすように召されています。ですから、神様は私たちの味方です。社会全体が祝福されるために誰かが世に出て行って神の言葉を人々に伝えなければなりません。神の原則に従ってどのように生きるのか。これが出来るのはクリスチャンであり、教会です。クリスチャンは、人々を世の惑わしから、悪魔の偽りから、悲しみと苦しみと失望から解放しなければなりません。私たちはサタンの束縛から、人々を解放するようにと召されています。
 
イスラエルの歴史の中にも同じ事が繰り返されています。イスラエルの人々はカナンの人々の中に住みカナンの文化に同調していました。その結果は当然の報いとしての困難でした。しかし、主は救助者オトニエルを起こされ救助しました(士師記3:5-10)。ちょうどイスラエル人と同じように、私たちも世の人々の間に住んでいます。この人たちは、神でない偽りの神々に仕えています。お金という神、セックスという神、ポルノという神に仕えている人もいます。仕事や子供を神とする人たちもいます。この世には沢山の偶像があって、それが人々の生活を破壊しています。しかし、まことの神は唯一であり、このお方は私たちにイエス・キリストを送ってくださり、その代価によって私たちを救い、私たちを義としてくださいました。私たちは、まことの神様に仕えない限り、未来はありません。神は私たちの優先順位の第一位にならなければなりません。私たちは神にだけ仕え、従い、その働きに従事します。イスラエルはこの事を悟らず、ただ周囲の人々に同調して生きたいと願いました。今日(こんにち)の人々も、当時のイスラエル人と同じように世間に同調して生きたいと思っています。それで、自分を破滅に陥れるような重大な間違いを犯してしまう人達がいます。神様は人間が自由であるようにと創造されました。しかし、真の自由を得るためには、人は神の原則に従わなければなりません。良き訪れを伝える者に、神様は味方となってくださっています。