イエス様は私たちが勝利の人生を歩むように、その贖いの業を完成されました。それは、私たちがアクティブな人生、つまり活発な人生、心躍る人生を生きるようにと言うのが神様の御心だからです。
それはここ数週間学んできたことです。つまり第一に「召されていることを悟ることによって神の権威によって人の前に立つ」と言うことです。第二に「神様とともに過ごすことによって神の権威によって人の前に立つ」と言うことです。第三に今日の「勝利者としての心の態度を保つことによって人の前に立つ」と言うことです。
私たちの「内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」(4:4)とあるように、神に属している私たちはすべてのことにおいて勝利に定められています。私たちはアクティブな人生を生きるだけではなく、勝利者としての人生を生きていきましょう。
それがイエス様が私たちにくださった人生です。ですから生活のあらゆる場面において、また、どんな問題に対しても、勝利は私たちのものだと理解しておく必要があります。神様が見方であるならば誰も敵対することはできません。私たちは勝利に定められています。
神から生まれた者は世に打ち勝ちます。ですから、すべての問題や状況は勝利者となるための機会であると捉えるべきです。戦いなくして勝利はないと言われていますが、問題(苦難)は勝利者となるための訓練の時として与えられます。
問題に直面するとき、しばしば悩むのは、それらが人生に影響を与えるからです。けれども、神が勝利を定めておられるのですから、私たちクリスチャンは勝利者としての心の態度を保つ必要があります。
世の習わしに従って生きる人たちは、いつも人生について不満を言います。彼らは、夫や妻、子供や上司、政府や教会や神ご自身についても不満を言います。
それは世の人々は勝利者としての心を持っていないからです。不満を言うのではなく、問題を解決しようとするのが勝利者の心を持った人の取る態度です。
神の子どもたちは、この世とは違った考え方があります。私たちは人生と社会のすべての問題に対して、すでに答えを持っているので、世の人々の態度には倣いません。
イエス・キリストは、すでに暗闇の勢力に対して勝利を取られました。イエス様の勝利は私たちの勝利です。神様は「子たちよ、あなたがたは神に属して」います、と言われました。皆さんは自分がどこに属しているか自覚しておられるでしょうか。
神に属している者は神の相続人です。私たちは神の特権を相続しています。ですから聖書は私たちが世に勝ったと宣言しています。人は神と戦うことが出来るでしょうか。
私たちが神の者であるならば不可能なことはありません。神にしっかりと付き従い、信頼し、勝利は神によって保証されていることを自覚していきましょう。
人生における否定的に思えることはすべて、神様は肯定的なことへと変えてくださいます。世がどれほど神の子どもたちを攻撃しようとしても、神様はそれを良いことに変えられます。神様はすべてのことが最終的には私たちの益になるように、取り計らってくださいます。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)とある通りです。
神に召された人々は、あらかじめ勝利に定められています。神様はクリスチャンを何時も勝利に導こうと支援しておられます。その事を理解するならば、私たちは人生における確信が得られます。クリスチャンは落ち込みに身をゆだねたり、重圧に押しつぶされたりすべきではありません。
環境や状況に頼らず、すでに勝利を与えて下さった神に頼っているからです。
世が不平を言うときにも、クリスチャンは喜びます。世があざけるときにも、クリスチャンは祝います。神の子どもたちのために何時も最善を成してくださる神にあって確信を持っているからです。
ですから、世の状況によって失望したり、目に見える状況によって動かされたりしないように致しましょう。そうではなく、神によって動かされる者でありたいと思います。そのようにして、私たちは世の人々と違った考え方をしていきましょう。
この世界は問題、嘘、失望、病気、暴力、虐待、いじめなどで満ちています。しかし神様は、これらすべての問題よりも偉大なお方です。世のすべての問題は、神の大能の力に比べるなら無に等しいものです。
それゆえに、私たちは勝利に定められています。
私たちが本当に神様に満たされるなら、神様と同様に私たちも世に打ち勝つことができます。神様が盾となり、守りとなってくださるので、世に打ち勝つことができます。
私たち一人一人には勝利者としての能力が備わっています。状況がそうでないときほど、この事を忘れないように致しましょう。勝利者にとって、不可能はありません。神様が奇跡を行われることを知り、信仰を解き放つなら、戦いに負けることはありません。
神様は状況を逆転してくださり、最後の判定を握っておられるお方です。私たちが神にとどまり、神が私たちの内に生きておられるなら、勝利は保証されています。
人間は人間に過ぎません。しかし、神と協力している人間は、人間を超えた人間です。神の言葉は勝利を約束しています。恥(はじ)に変えて勝利を、辱めに変えて昇進を与えてくださいます。ですから、いつも神のうちにあることが重要です。
神様の能力と威力を疑うことは最悪なことです。神様との安定した関係を持っていないことは最悪なことです。
神は心を見られるお方ですから、神を欺くことはできません。聖書は次のように言っています。
詩編「18:25 主はわたしの正しさに応じて返してくださる。御目に対してわたしの手は清い。18:26 あなたの慈しみに生きる人に/あなたは慈しみを示し/無垢な人には無垢に18:27 清い人には清くふるまい/心の曲がった者には背を向けられる。」
神様に対して、いつも真っ直ぐであるならば、神様は私たちをいつも勝利者として立たせてくださいます。この確信をいつも心に留めておきましょう。
クリスチャンは第一に「召されていることを悟ることによって神の権威によって人の前に立」ちます。第二に「神様とともに過ごすことによって神の権威によって人の前に立」ちます。第三に「勝利者としての心の態度を保つとによって人の前に立つ」と言うことです。
「子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」(4:4)
神が味方であるが故に私たちは勝利が約束されています。勝利者である主に感謝を捧げましょう。
<要約>
イエス様は私たちが勝利の人生を歩むように、その贖いの業を完成されました。それは、私たちがアクティブな人生、つまり活発な人生、心躍る人生を生きるようにと言うのが神様の御心だからです。そのために必要なことは第一に「召されていることを悟ることによって神の権威によって人の前に立つ」と言うこと、第二に「神様とともに過ごすことによって神の権威によって人の前に立つ」と言うこと、第三に「勝利者としての心の態度を保つことによって人の前に立つ」と言うことです。人の前に立つとき、私たちは神を代表する者として神の権威によって立っている者です。ですから人から侮られるような事があっては成りません。私たちの「内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」(4:4)とあるように、神に属している私たちはすべてのことにおいて勝利に定められています。それがイエス様が私たちにくださった人生です。ですから生活のあらゆる場面において、また、どんな問題に対しても、勝利は私たちのものだと理解しておく必要があります。神様が見方であるならば誰も敵対することはできません。私たちは勝利に定められています。
世の習わしに従って生きる人たちは、いつも人生について不満を言います。彼らは、夫や妻、子供や上司、政府や教会や神ご自身についても不満を言います。それは世の人々は勝利者としての心を持っていないからです。不満を言うのではなく、問題を解決しようとするのが勝利者の心を持った人の取る態度です。人は神と戦うことが出来るでしょうか。私たちが神のものであるならば不可能なことはありません。神にしっかりと付き従い、信頼し、勝利は神によって保証されていることを自覚していきましょう。ですからクリスチャンは落ち込みに身をゆだねたり、重圧に押しつぶされたりすべきではありません。世が不平を言うときにも、クリスチャンは喜びます。世があざけるときにも、クリスチャンは祝います。この世界は問題、嘘、失望、病気、暴力、虐待、いじめなどで満ちています。しかし神様は、これらすべての問題よりも偉大なお方です。世のすべての問題は、神の大能の力に比べるなら無に等しいものです。それゆえに、私たちには勝利に定められています。人間は人間に過ぎません。しかし、神と協力している人間は、人間を超えた人間です。神の言葉は勝利を約束しています。恥に変えて勝利を、辱めに変えて昇進を与えてくださいます。ですから、いつも神のうちにあることが重要です。あなたは勝利に定められています。