ヨハネの手紙T4:4
4:4子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。
聖潔の世界に入ることを繰り返し述べてきましたが、その準備段階として、クリスチャンには、希望があることと、勝利が定まっていることを学ぶ必要があることについて述べてきました。
それは何故かというと、聖潔の世界は、どうしても窮屈な世界ではないか、との思いが付きまとうからです。聖潔の世界は窮屈な世界では無く、希望と、勝利の世界であることを理解することによって、強い意志を持って聖潔を求めていく意欲を引き出そうという意図があるわけです。
私自身はそのような思いによって聖潔に入ったのではありませんでしたが、必ずしも私と同じ思いを持つとは限らないと思います。私の場合は伝道者として士官として必要に迫られていたというのが理由になります。
しかし、伝道者や士官でなくても希望と、勝利の世界であることを学ぶならば、誰でもがこれを求めていくのではないでしょうか。勿論プロテスタントの考え方は万民祭司主義ですから、全ての信徒は伝道者であるわけですから、そのような立場を自覚しておられる方は、聖潔の必要性を認識しておられると思います。
また、聖潔を維持するためには必要な心構えがあります。その事について触れておきます。聖潔の世界に入ったとしても、今まで通りの、無防備な心の態度で居るならば、何(いず)れ元の、罪との同居状態に戻ってしまいます。
聖潔を維持するための心構えとは、第一に誘惑になるものに近づかない、反感の思いがこみ上げてくる場面では、私は私ではなくキリストが私の主権者であることを思い起こし、イエス様に応答して貰う、と言う事が必要です。これは繰り返し練習が必要です。
特にテレビや世俗の文章には注意が必要です。これらは私たちを「死んだらお終い」という神の国の原則とは縁のない思いに、私たちをマインドコントロールしようとしています。私たちは、そうではなく、出来るだけ多くの時間を神様の世界に身を置くようにしなければなりません。
それによって、「死んだらお終い」という死んだ思いではなく、希望と、勝利が約束されているという生き生きとした、アクティブな思いを維持することが出来るようになります。
何(いず)れにしても聖潔を維持するためには、小隊のプログラムに参加するとか、聖書や信仰書を読むとか、自然の中で神の臨在の中に身を置くなどのように、神様との親しい交わりの時を、より多く持つという努力が必要です。また、神の言葉を実行すると言うことも重要です。神に背を向けていたのでは、聖潔に入ることも維持することも出来ません。
このように、聖潔を求め維持するためには努力が必要ですが、その努力の励みとなるものが、希望と、勝利が約束されていると言う事です。故(ゆえ)に忍耐し努力しましょうと薦めるわけです。
努力することについてはパウロが繰り返し述べています。コリントの信徒への手紙T9:24「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。9:25 競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。9:26 だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。9:27 むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」
パウロは「朽ちない冠を得るために」と積極的な見方と、「失格者に」ならないようにと消極的な面から語っていますが、今日は特に希望と、勝利が約束されているが故(ゆえ)にと積極的な思いで聖潔を目指して頂きたいと思います。
さて本題に入っていきますが、第一には「聖潔によって希望が与えられる」と言う事でした。聖書は、ヨハネによる福音書10:10「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」。
また、エレミヤ書29:11「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」。この二個所を上げることが出来ます。
今日は「聖潔によって勝利が与えられる」と言う事について学んでまいりましょう。ヨハネの手紙T4:4「子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」
イエス様は私たちが勝利の人生を歩むように、その贖いの業を完成されました。それは、私たちがアクティブな人生、つまり活発な人生、心躍る人生を生きるようにとの神様の御心でした。つまり勝利者としての人生を生きるようにとの御心であったわけです。
私たちは人の前に立つとき、神を代表する者として神の権威によって立っている者です。ですから人から侮られるような事があっては成りません。
私たちの「内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」(4:4)とあるように、神に属している私たちはすべてのことにおいて勝利に定められています。私たちはアクティブな人生を生きるだけではなく、勝利者としての人生を生きるよう招かれています。
それがイエス様が私たちにくださった人生です。ですから生活のあらゆる場面において、また、どんな問題に対しても、勝利は私たちのものだと理解しておく必要があります。神様が見方であるならば誰も敵対することはできません。私たちは勝利に定められています。
「・・・、あなたがたは・・・、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」(4:4)
とある通りです。
神から生まれた者は世に打ち勝ちます。ですから、すべての問題や状況は勝利者となるための機会であると捉えるべきです。戦いなくして勝利はないと言われていますが、問題や困難は勝利者となるための訓練の時として与えられます。
問題に直面するとき、しばしば悩むのは、それらが人生に影響を与えるからです。けれども、神が勝利を定めておられるのですから、私たちクリスチャンは勝利者としての心の態度を保つ必要があります。
世の習わしに従って生きる人たちは、いつも人生について不満を言います。彼らは、夫や妻、子供や上司、政府や教会や神ご自身についても不満を言います。
それは、世の人々は勝利者としての心を持っていないからです。不満を言うのではなく、問題を解決しようとするのが勝利者の心を持った人の取る態度です。
神の子どもたちは、この世とは違った考え方があります。私たちは人生と社会のすべての問題に対して、すでに答えを持っているので、世の人々の態度には倣いません。
イエス・キリストは、すでに暗闇の勢力に対して勝利を取られました。イエス様の勝利は私たちの勝利です。神様は「子たちよ、あなたがたは神に属して」います、と言われました。皆さんは自分がどこに属しているか自覚しておられるでしょうか。
神に属している者は神の相続人です。私たちは神の特権を相続しています。ですから聖書は私たちが世に勝ったと宣言しています。人は神と戦うことが出来るでしょうか。
私たちが神の者であるならば不可能なことはありません。神にしっかりと付き従い、信頼し、勝利は神によって保証されていることを自覚していきましょう。
人生における否定的に思えることはすべて、神様は肯定的なことへと変えてくださいます。世がどれほど神の子どもたちを攻撃しようとしても、神様はそれを良いことに変えられます。神様はすべてのことが最終的には私たちの益になるように、取り計らってくださいます。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)とある通りです。
神に召された人々は、あらかじめ勝利に定められています。神様はクリスチャンを何時(いつ)も勝利に導こうと支援しておられます。その事を理解するならば、私たちは人生における確信が得られます。クリスチャンは落ち込みに身をゆだねたり、重圧に押しつぶされたりすべきではありません。
環境や状況に頼らず、すでに勝利を与えて下さった神に頼っているからです。「環境に負けるな環境を奴隷とせよ」。これが勝利者の合い言葉です。
世が不平を言うときにも、クリスチャンは喜びます。世があざけるときにも、クリスチャンは祝います。神の子どもたちのために何時(いつ)も最善を成してくださる神に有って確信を持っているからです。
ですから、世の状況によって失望したり、目に見える状況によって動かされたりしないように致しましょう。そうではなく、神によって動かされる者でありたいと思います。そのようにして、私たちは世の人々と違った考え方をしていきます。
この世界は問題、嘘、失望、病気、暴力、虐待、いじめなどで満ちています。しかし神様は、これらすべての問題よりも偉大なお方です。世のすべての問題は、神の大能の力に比べるならば無に等しいものです。
それゆえに、私たちは勝利に定められています。
私たちが本当に神様に満たされるなら、神様と同様に私たちも世に打ち勝つことができます。神様が盾となり、守りとなってくださるので、世に打ち勝つことができます。
私たち一人一人には勝利者としての能力が備わっています。状況がそうでないときほど、この事を忘れないように致しましょう。勝利者にとって、不可能はありません。神様が奇跡を行われることを知り、信仰を解き放つなら、戦いに負けることはありません。
神様は状況を逆転してくださり、最後の判定を握っておられるお方です。私たちが神にとどまり、神が私たちの内に生きておられるなら、勝利は保証されています。
人間は人間に過ぎません。しかし、神と協力している人間は、人間を超えた人間です。神の言葉は勝利を約束しています。恥(はじ)に変えて勝利を、辱めに変えて昇進を与えてくださいます。ですから、いつも神のうちにあることが重要です。
神様の能力と威力を疑うことは最悪なことです。また神様との安定した関係を持っていないことは最悪なことです。神は心を見られるお方ですから、神を欺くことはできません。聖書は次のように言っています。
詩編18:25「主はわたしの正しさに応じて返してくださる。御目に対してわたしの手は清い。18:26 あなたの慈しみに生きる人に、あなたは慈しみを示し、無垢な人には無垢に18:27 清い人には清くふるまい、心の曲がった者には背を向けられる。」
神様に対して、いつも真っ直ぐであるならば、神様は私たちをいつも勝利者として立たせてくださいます。この確信をいつも心に留めておきましょう。
「子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」(4:4)
私たちの内におられるお方は、世にいる者よりも強いお方です。ですから私たちには勝利が定まっています。勝利者であられる主に感謝を捧げましょう。
勝利者としての心の態度を保ちましょう
私たちは勝利に定められています。ですから、
自分の良い所も悪い所も、ありのまま全部を神様に捧げましょう。神様に全き信頼をして行く、これが聖潔です。そしてその報酬は希望と勝利であるわけです。