創世記31:1〜9
31:1 ヤコブは、ラバンの息子たちが、「ヤコブは我々の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ」と言っているのを耳にした。31:2 また、ラバンの態度を見ると、確かに以前とは変わっていた。31:3 主はヤコブに言われた。「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる。」31:4 ヤコブは人をやって、ラケルとレアを家畜の群れがいる野原に呼び寄せて、31:5 言った。「最近、気づいたのだが、あなたたちのお父さんは、わたしに対して以前とは態度が変わった。しかし、わたしの父の神は、ずっとわたしと共にいてくださった。31:6 あなたたちも知っているように、わたしは全力を尽くしてあなたたちのお父さんのもとで働いてきたのに、31:7 わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった。31:8 お父さんが、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ。31:9 神はあなたたちのお父さんの家畜を取り上げて、わたしにお与えになったのだ。
私たちクリスチャンには勝利が定まっていることを繰り返し述べてきました。ただこれを信じないで途中で諦めてしまうので、勝利を手にすることができずにいることが多くある訳です。
さて私たちは何に対して勝利をしようとしているのでしょうか、それは勿論私たちが住んでいる日本という国が神の御国の原則に従って国が建て上げられていくと言うことです。人々の生活を変え、世の人々の中に義と愛と公正に基ずく神の原則を打ち立てていくと言う戦いです。
この戦いについては既に勝利していますとイエス様は宣言しておられます。ヨハネによる福音書16:33「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と有る通りです。
今日のテキストであります、ヤコブについても同じことが言えます。
アブラハムに与えられた神様からの祝福は息子であるイサクに引き継がれ、更にその子どもであるヤコブに引き継がれました。
やがてヤコブはエサウの長子の特権をだまし取ったために、兄に命を狙われる者となり、伯父の居るハランに逃れていきました。
ハランに着いたヤコブは伯父ラバンに迎えられて、そこで羊の世話をする者となりました。そこでラバンの娘であるラケルを妻とするために、7年間働きましたが、今度はヤコブがだまされラケルではなくラケルの姉であるレアと結婚する事となりました。ラケルとの結婚も叶いましたが、なお更に7年間働かされました。
自分が蒔いた種とはいえ、このような困難、逆境が続きますと、人は神を疑ってしまうと言う罠に陥ります。疑うとまでは行かなくとも、神様からの祝福から自分は見放されていると感じてしまう事があります。
しかし、ヤコブは神様からの約束を信じ、右にも左にもそれる事はありませんでした。ヤコブは主を信じて逆境の中にも努力する事を止めませんでした。
ついにヤコブはラバンの元を去る事を願い求め、またその報酬を求めた訳です。
30:32 今日、わたしはあなたの群れを全部見回って、その中から、ぶちとまだらの羊をすべてと羊の中で黒みがかったものをすべて、それからまだらとぶちの山羊を取り出しておきますから、それをわたしの報酬にしてください。
ところがなお、ラバンはヤコブをだまし、それらの羊と山羊を遠くへ隠してしまいました。そこでヤコブはぶちとまだらの羊と山羊が増えるように、また丈夫な羊と山羊がぶちとまだらとなるよう工夫を重ねていった訳です。神様はこの事をも祝福されました。
そのことが今日の聖書箇所です。31章。
31:6 あなたたちも知っているように、わたしは全力を尽くしてあなたたちのお父さんのもとで働いてきたのに、
31:7 わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった。
31:8 お父さんが、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ。
31:9 神はあなたたちのお父さんの家畜を取り上げて、わたしにお与えになったのだ。
ヤコブはついにラバンの元を去り、故郷であるカナンに向かった訳です。
私たちはイエス・キリストを通して、アブラハム、イサク、ヤコブへの祝福に与っています。私たちは弱さや、欠点があり、また困難に出会い、逆境に立たされます。しかし、神様の選び、祝福は変わる事はありません。
ローマの信徒への手紙に次のようにあります。
1:29 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。また、今日のテキストにもありました。
31:7「しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった。」
神様が祝福しようとする者を人は止める事ができません。
さて、人々の生活を変え、世の人々の中に義と愛と公正に基ずく神の原則を打ち立てていく、と言う戦いをどのように進めていけば良いのでしょうか。
それは、教会は、ただ建物の中で祈り、メッセージを語ればよいと言うことではないと言うことです。社会に積極的に働きかけ、行動することによって社会に影響を与え、神の秩序と真理をもたらすと言うことです。
国とその問題から離れて無関心を装っていてはいけません。社会に出て行って、その生活を変え、義と愛と公正に基ずく神の原則を打ち立てて行かなければなりません。
ペトロへの約束はマタイによる福音書に記されています。「16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授(さず)ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」。
私たちクリスチャンは天の国の鍵を授(さず)かっている者です。その使命を実行しなければなりません。
また、イエス様からの宣教命令は28:18にあります。 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
社会のシステム、文化を根底から変えていく権威を神は私たちにくださっています。クリスチャンは、失われた世界のために神に叫び、世を支配する惑わしと不法に立ち向かう使命が与えられています。
その様な使命感の元にクリスチャンが一致を持って出て行くなら、世の人々は変えられていきます。
神は私たちを個人としても、各教会としても用いたいと願っておられます。ですから私たちが一歩を踏み出して行くならばそこに神の国は実現していきます。
しかし、勿論そこには困難と試練に遭うこともあるでしょう。しかし、それは神の栄光のために私たちが整えられるために神によって許されている試練である訳です。このような時、どうしたらよいのでしょうか。不平を言うのでしょうか。それとも、神を賛美することによって、それらを乗り越えていくのでしょうか。このような時にこそ「勝利が定まっている」ことを覚えなければなりません。
神様は、すべての人の心を変え、イエス様の前に身を低くするように神様が働いてくださることを信じていなければなりません。
私たちの前に立ちはだかる困難や試練は、私たちがイエス・キリストにあって、より偉大な栄光を見るための一時的な不便に過ぎないことを覚えておきましょう。
私たちは神に信頼し、神が人々を動かして、ご計画を遂行してくださることを信じる必要があります。
私たちに求められている事は、キリストにある希望の故に輝いて生きる事と、善を行い、悪と戦うと言うことです。
今日も神様への信頼を現してまいりましょう。
<要約>
「勝利が定まっている」、それは私たちが住んでいる日本という国が神の御国の原則に従って国が建て上げられていくと言うことです。人々の生活を変え、世の人々の中に義と愛と公正に基ずく神の原則を打ち立てていく、と言う戦いに勝利が定まっています(ヨハネ16:33)。アブラハムに与えられた神様からの祝福はイサク、ヤコブに引き継がれました。ヤコブは伯父ラバンのもとで試練の中にありましたが多くの財産と共にカナンに帰りました。「(伯父ラバンは)わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった」(創世記31:7)。私たちはイエス・キリストを通して、アブラハム、イサク、ヤコブへの祝福に与っています。私たちは弱さや、欠点があり、また困難に出会い、逆境に立たされます。しかし、神様の選びと祝福は変わる事はありません。「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです」(ローマ1:29)。神様が祝福しようとする者を人は止める事ができません。
ですから教会は、ただ建物の中で祈り、メッセージを語ればよいと言うことではなく社会に積極的に働きかけ、行動することによって社会に影響を与え、神の秩序と真理をもたらす必要があります。イエス様はペトロに言いました。「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授(さず)ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ16:18、19)。
私たちクリスチャンは天の国の鍵を授(さず)かっている者です。その使命を実行しなければなりません。宣教命令にも述べられています(マタイ28:18-20)。社会のシステム、文化を根底から変えていく権威を神は私たちにくださっています。クリスチャンは、失われた世界のために神に叫び、世を支配する惑わしと不法に立ち向かう使命が与えられています。その様な使命感の元にクリスチャンが一致を持って出て行くなら、世の人々は変えられていきます。
神様は、すべての人の心を変え、イエス様の前に身を低くするように神様が働いてくださることを信じていなければなりません。また、私たちの前に立ちはだかる困難や試練は、私たちがイエス・キリストにあって、より偉大な栄光を見るための一時的な不便に過ぎないことを覚えておきましょう。私たちは神に信頼し、神が人々を動かして、ご計画を遂行してくださることを信じる必要があります。神様への信頼を現してまいりましょう。