さて、「宇宙は神が造ったのか」と言う本が、2009年に発行されました。その中で述べられている点は、神様は私たち人間を造るために宇宙を造られたという事です。知性を持った創造主によって私たちが住む広大な宇宙は造られました。そして太陽を作り、地球を形作りました。
そこに植物を生えさせ、鳥や動物たちを造られました。つまり、演劇における大道具、小道具が整(ととの)えられました。そこで神様は主人公であり、ヒーローである人間を登場させました。これが真実です。
皆さんはどのように考えておられるでしょうか。人間は偶然の重なりで、たまたま、出来上がったと考えておられるでしょうか。もしそうだとするならば、人間には生まれて来た目的というものは存在しないと言う事になります。
なぜなら偶然の産物ですから目的がないのは当然だからです。しかし、真実はそうではありません。この広大な宇宙は人間を造るために始められ、人間を造るために地球は造られました。私たち人間は宇宙の主人公であり、地球の主人公です。
そして、その人間の造られた目的は、神様が造られた、この世界を喜び、楽しみ、歓喜に溢れて生きることだという事です。神様によって造られた命を感謝しながら生きるという事が私たち人間の目的です。なぜならば感謝がある所に喜びがあるからです。
ところが現実は如何でしょうか。戦争があり、争いがあり、不正があって、世界は混乱しています。なぜでしょうか。
それは、私たち人間が生きる目的を見失ってしまったために、感謝をする事を忘れ、自己中心的な生き方を始めてしまったためです。人間は偶然に生まれて来たものではありませんから、当然目的があります。また、目的と同時に、どのような生き方をすべきなのかと言う法則があります。
すなわち、(出エジプト記20:3)「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」、「あなたの父母を敬え。」(12)、「殺してはならない。」(20:13)、「姦淫してはならない。」(14)、「盗んではならない。」(15)、「偽証してはならない。」(16)、と言うような、人間が守るべき規範があります。
ところが人間は自由であり、法律に触れなければよい、見つからなければ良いという事になっているために、混乱が続いています。これらは皆、感謝をする事を忘れ、自己中心的な生き方を始めてしまったために起こっている事です。私たち人間は本当に自由に生きていると言えるのでしょうか。
人は、それぞれ自分の好きな方向に向かって進んで行きますが、直ぐに人とぶつかり、争いが起こると言うような事に陥っています。これでは到底自由に生きているとは言えません。私は皆さんにお勧め致しますが、ここに写真がありますように、金魚を見習って欲しいと願います。すなわち、金魚は水槽の中では自由に泳ぎ回る事が出来ますが、水槽を飛び越えて、外に飛び出してしまうなら、自由に泳ぐ事が出来なくなってしまいます。私たち人間も同じです。
つまり、水槽とは、私たち人間が守るべき規範であり、神の言葉です。神の言葉の範囲の中で生きるならば私たちは自由を味わう事が出来ます。すなわち、平和が保たれ正義が尊重され、誰でもが自分の目標を実現する事ができる社会となります。
そうではなく、神の言葉を越える時に、人とぶつかり、争いが起こり、健康を失い、自由は奪われていきます。
創造主である神は、私たちを、このような状態からの救いとして、イエス・キリストを2000年前に私たちの世に使わしてくださいました。
イエス・キリストの十字架の死と、復活によって、私たちは、この混乱から救われ、神と共に歩む真の自由が与えられるようにりました。
すなわち、「8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ)とのイエス・キリストの言葉が実現いたしました。
また、聖書に「コリU5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(口語)とあります。私たちは神様が造られた最初の状態に立ち帰る必要があります。
「マタイ11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とも言っています。本当の平安は神を知る時に与えられます。
イエス・キリストと共に歩む新しい人生に入る決心をされますようお薦め致します。