15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
今回は人を愛するとは、本当はどう言うことなのか、と言うことについて考えてみました。ですから、私が愛の人になっています、と言うのではなく、これから、実践して行きたいという意味で聞いて頂きたいと思います。
第一に気付いたことは、一般的に使われている愛というのは本当は愛という言葉を使ってはいけないものであると言うことです。一般的に誰彼を愛していると言う場合、それは愛していると言うのではなく、好きです、と言う意味でした。
本当は、私はあの人が好きです、と言うべきなのです。これは私はあの店のケーキが好きです、と言う事と同じ意味になります。
そして、好きですという思いが、強くなって来ると、今度はそれを手に入れたい、自分のものにしたい、という思いが強くなってきて、人は、何故(なぜ)か、その時に愛していると言ってしまいます。つまり、好きなものを何時(いつ)も自分の側に置いておきたい、自分のものにしたい、この思いを、人は「愛している」と表現しています。
本来、私はあの店のケーキが好きです、と言う事を、私はあの店のケーキを愛しています、と言ったならば、店の人は喜ぶかもしれませんが、少しおかしな表現となってしまいます。
愛するという言葉と、好きですという言葉は、本来は全く違う言葉です。愛するという意味と同じ言葉は犠牲という言葉です。
聖書では愛について次のように述べられています。マタイ22:39「隣人を自分のように愛しなさい。」
また、ヨハネ15:12「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」。15:13「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
愛の最終的な意味は自分の命、或(ある)いは時間を相手に差し出すと言うことです。つまり、自分の事を犠牲にして相手に与えると言うことです。ですから、好きです、と言うのは相手を手に入れることでしたが、愛すると言うのは、その反対で、自分を相手に差し上げるという意味になります。
つまり、自分はサッカーの番組を見たいけれども、それを諦めて、フィギアスケートを見る、とかですね、野球の試合を見に行きたいけど、それを諦めて、デパートに買い物に行くと言うようなことになります。
或いは、たまってきた仕事を片付けに行こうと思ったことを、諦めて、お家(うち)で掃除や洗濯の手伝いをすると言うのを愛と言います。
つまり、自分が計画したものはしないで、相手が計画したものを行うと言うことです。つまり、自分の自己実現は後回しにして、人の自己実現のために、自分の時間やお金を使う、これが愛である訳です。
つまり、好きですというのは、相手を自分の思い通りにしたいと言うことですが、愛するというのは相手の思い通りに自分を合わせていくという事になります。
ですから、初めに言いましたように、好きという言葉と愛するという言葉は正反対の言葉ですと言うことが言える訳です。
今の時代、残念ながら互いに好きな物を手に入れようとしているような社会になってきているように思いますが、これでは私たちの間から争いや分裂、混乱、悲しみ、と言うものがなくならないと言うことになってしまいます。
奪う愛ではなく、与える愛によってのみ私たちの社会に真の平和を取り戻すことが出来ます。
聖書は次のように言っています。フィリピ2:3「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」
また、コリントT13:4「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
如何でしょうか、皆さんは与える愛というものを実践しておられるでしょうか。初めに述べた聖書の言葉に ヨハネ15:13 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」とありましたが、これを実践された方が、イエス・キリストです。
イエス・キリストは、初めに人間が創造された時には神様と共に歩んでいた人間が、神様から離れてめいめい自分勝手な生き方を始めたために、争いと混乱の中に生きる者となっていた人々を、もう一度神と共に歩む、秩序ある、平和と祝福と、また勝利の人生を生きる者となるようにと、その贖いの業を実現されました。それが、イエス・キリストの十字架の死と復活です。実にイエス・キリストは神から遣わされた神の独り子です。
イエス・キリストは私たちの救いのために命を捨ててくださったお方です。私たちはイエス・キリストを通してもう一度、神と共に歩む人生を取り戻すことが出来るようになりました。
与える愛を実践するためにはその人自身が、その心の傷が癒され、神の愛に満たされるのでなければ、それを実践することが出来ません。
聖書に「愛は神から出たものです」(ヨハネT4:7)とありますが、神の愛に満たされる時を持って頂きたいと思います。聖書にはヨハネ3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあります。私たち一人ひとりは神に愛されている大切な一人ひとりです。
今までの生き方を改めて、正しい生き方に直していきましょう。
どうか、神と共に歩む人生へと進まれ、与える愛の実践者となられますようお薦めいたします。