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-天の幻- 前へ / 後へ -清い心がもたらす恵み-
「神は私を祝福してくださる」(110724ku)
 
出エジプト記20:5〜6
20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
 
 
神はいかなる時も私を祝福してくださる。私が神様を信頼し、いかなる時にも神様の栄光を現すからだ。
 
出エジプト記9:5-6に「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。19:6 あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる。」とあります。
神様はどんなにか、イスラエルを愛していることでしょうか。神様はイスラエルを祝福したいと強く思っておられます。しかし、神様が祝福しようとする場合、一つだけ条件がありました。それは、神を愛し、神の掟を守ると言うことです。
 
これについては、旧約時代の多くの人々が失敗しました。しかし、勿論何人かの人々は神に愛されました。その一人はエノクです。創世記5:21に「エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。5:22 エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。5:23 エノクは三百六十五年生きた。5:24 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」
エノクは三百年神と共に歩み、神の祝福に満たされて生涯を過ごし、なおかつ、死を味わうことなく天の御国に迎え入れられました。また、イザヤやエレミヤ、エリヤやエリシャなど預言者たちも神と共に歩み、神の祝福に与っています。
 
しかし、多くの人々が神と共に歩むことが出来るようになったのは、イエス・キリストによる救いが実現してからになります。旧約時代には神様が人々に現されるのは稀(まれ)なことでした。しかし、新約の時代に入ってからはイエス様は助け主なる聖霊を送ってくださり、何時でも誰にでも神を現され、助けを受けることができるようになりました。
ヨハネによる福音書14:16に次のようにあります。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。14:17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」
 
この弁護者、真理の霊、つまり聖霊は私たちが神の掟を守ることが出来るように助けてくださっています。私たちが神と共に歩むことが出来るように助けてくださっています。つまり、聖霊は私たちが第三の世界に入ることを可能にしています。第三の世界つまり聖潔の世界に入ることを可能にしていると言うことです。
 
さて、今日は十戒の第二の戒めをテキストと致しました。そこには「わたしは熱情の神である」(20:5)とあります。「熱情の神」とは、つまり、ご自分を現すことに熱心なお方であると言うことです。言い換えるならば、それだけ私たち人間を愛しておられると言うことです。
つまり愛している人間に顧みられないことを無視できないと言うことです。神様は創っただけで無視しているのではない。
 
ところで、第一戒は「わたしをおいてほかに神があってはならない」であり、第二戒は偶像に「向かってひれ伏したり」してはならない、第三戒は「主の名をみだりに唱えてはならない」となっています。これらの戒めは殺人や、姦淫、盗み、偽証よりも先に記されています。つまり、それらの戒めよりも重要だと言う事を表しています。
私たちは偶像礼拝をしても日本の法律には違反しないので殺人や、姦淫、盗み、偽証よりも重要な戒めではないと考えがちですが、聖書はそのようには言ってはいません。
つまり、創造者である神を知らないとか、敬わない事は神様にとって何にも勝ってお嫌いになることだと言うことです。注意したいと思います。
十戒の第二の戒めは「わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」と言っています。つまり、神を否む者は神様の祝福に浴することが出来ないと言うことです。私たちは神様の祝福から見放されたならばそこに希望を見出すことが困難になってきます。また、自らの罪によって傷つき、幸福を得ることにますます困難になってきます。神に立ち返ることが是非とも必要です。
6節には「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」とあります。
神様は神を愛し、神を信頼する者を祝福されます。なぜでしょうか。それは神様は「熱情の神」だからです。神様は地球上のすべての人間が神を愛する者、神を信頼する者になって欲しいと願っています。ですから神を愛する者、神を信頼する者を祝福することによってその思いを実現しようとしておられます。つまり、そのような人々をを祝福すれば、それだけ神を愛する人々が増加すると言うことです。
 
ですから皆さん安心してください。神を愛し、信頼する私たちは「神は私を祝福してくださる」と心に信じることが出来ます。「産めよ、増えよ、地に満ち」よ(創世記1:28)。神を愛し、信頼する者に神様はこのように呼びかけられます。
ですから私たちは何時でもどこでも、どんな状況にも神様の祝福を期待することが出来ます。安心してください、神様はこの世界を造られたお方ですから神様に出来ないことは何もありません。
 
これに加えて言うならば、頂いた祝福を自分の力でこれを得ました、と言っては成らないと言うことです。神様は「熱情の神」ですから、この地上に神の栄光を現すと言う事は全てのものに優先させることが望まれます。
「神様にこのように願いました」。「神様はこのように応えてくださいました」。神様は私たちがこのように語るのを喜んでくださいます。
 
「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(20:6)。これが神様の約束です。そして聖霊の働きによって、私たちが聖潔の世界に入ることによって、神を愛し、神の戒めを守ることが出来るようになります。
イエス・キリストによる全き救いは、私たちに「神は私を祝福してくださる」との確信を与え、その祝福は子々孫々幾千代にも及ぶものとなっています。
どうぞ「肉と霊とが対立し合っている」(ガラテヤ5:17)第二の世界から第三の世界の住人としての歩みを進めてまいりましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<要約> 神様はイスラエルを愛し、イスラエルを祝福したいと強く思っておられました。しかし、神様が祝福しようとする場合、一つだけ条件がありました。それは、神を愛し、神の掟を守ると言うことです。しかし、旧約時代には実現しませんでした。それは新約時代に入ってイエス・キリストによる救いが実現したことによって完成しました。イエス様は助け主なる聖霊を送ってくださり、何時でも誰にでも神を現され、助けを受けることができるようにしてくださいました。つまり聖霊は私たちが神を愛し、神の掟を守ることが出来るように助けてくださっています。つまり聖霊は私たちが第三の世界(聖潔)に入ることを可能にしています。20:6節には「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」とあります。神様は神を愛し、神を信頼する者を祝福されます。なぜでしょうか。それは神様は「熱情の神」(5)だからです。神様は地球上のすべての人間が神を愛する者、神を信頼する者になって欲しいと願っています。ですから神を愛する者、神を信頼する者を祝福することによってその思いを実現しようとしておられます。つまりそのような人々を祝福すれば、それだけ神を愛する人々が増加すると言うことです。
 
ですから皆さん安心してください。神を愛し、信頼する私たちは「神は私を祝福してくださる」と心に信じることが出来ます。「産めよ、増えよ、地に満ち」よ(創世記1:28)。神を愛し、信頼する者に神様はこのように呼びかけられます。ですから私たちは何時でもどこでも、どんな状況にも神様の祝福を期待することが出来ます。安心してください、神様はこの世界を造られたお方ですから神様に出来ないことは何もありません。これに加えて言うならば、頂いた祝福を自分の力でこれを得ました、と言っては成らないと言うことです。神様は「熱情の神」ですから、この地上に神の栄光を現すと言う事は全てのものに優先させることが望まれます。「神様にこのように願いました」。「神様はこのように応えてくださいました」。神様は私たちがこのように語るのを喜んでくださいます。「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(20:6)。これが神様の約束です。そして聖霊の働きによって、私たちが聖潔の世界に入ることによって、神を愛し、神の戒めを守ることが出来るようになります。イエス・キリストによる全き救いは、私たちに「神は私を祝福してくださる」との確信を与え、その祝福は子々孫々幾千代にも及ぶものとなっています。どうぞ「肉と霊とが対立し合っている」(ガラテヤ5:17)第二の世界から第三の世界の住人としての歩みを進めてまいりましょう。