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「神の恵の善い管理者」(120311ku)
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ペトロの手紙T 4:1〜11
4:1 キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。4:2 それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。4:3 かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。4:4 あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひどい乱行に加わらなくなったので、不審に思い、そしるのです。4:5 彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。 4:6 死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。4:7 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。4:8 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。4:9 不平を言わずにもてなし合いなさい。4:10 あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。4:11 語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。
 
4:1「キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。」
私たちは皆自分の力だけで生きることを断念した者です。私の場合は家族から離れて生活する中に、自分を満たすものを求めて行く時に、この世の偽物の平安の虜となっていました。
また、特別に人生の目的をもって生きていたのでもありませんでした。ただ、如何に社会に適応し生きていくかと言うだけでした。
ですから、さまざまな誘惑と、罠に対して全くの無防備の状態ということが出来ます。
そのような中に神がおられることを示され、このお方の中にすべての答えと、目的があることを見出しました。
初めからそのように理解したのではありませんでしたが、兎に角、真実に生きることの必要性を学んだ訳です。
そのような中で、自分の弱さを繰り返し思わされる時に、自分の力で生きることを捨てて、神に依存するのでなければ、何事も実現することが出来ないことを学びました。
それでもなお、失敗する中で、自分ではすべてを献げたつもりでいましたが、実際にはなお、これだけは自分の所に取っておきたいというものがあったことに気付きました。そしてイエス様が十字架に掛かられたのは、私の罪を完全に滅ぼすためであることを示され、その取って置いた残りのものをも差し出すことが出来ました。
 
パワー・フォー・リビングの中で、神様に全部を献げれば、神様の持っておられる財産の相続人となります、と学んでいる訳ですが、今はその神様の所有物が自分のものとなっていること故の平安を頂いていることに感謝を捧げるものです。
このような感謝を捧げることが出来るようになったのは、全てイエス様のその御業による賜物です。
 
キリストによって人生を生きようとする者は素晴らしい選択をした者です。しかし、勿論、私たちは世の流れに従って生きていた所から、キリストの道に移った訳ですから、世からの迫害に遭う者となっています。
ですからペトロは「4:1 キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。」と勧めている訳です。世からの迫害に対して良く抵抗し、忍耐力を養わなければなりません。
そして尚かつペトロは続けます。「肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。」(4:1)
神に自分を献げた者は、再び罪の誘惑に目を注いではなりません。そのようなものよりも神様の恵みが如何に大きいかを思い見、これを求めて前進していかなければなりません。
 
4:2 それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。
神様は私たちが、神と共に生きるものとして創造してくださいました。ですか、私たち人間は神様から離れて生きられるようには造られていない訳です。神様の御言葉を越えて生きるならば必ず傷を受けることになるのは当然のことであった訳です。
イエス様のその苦しみは、私たちが再び、神様と共に生きる、正しい生き方に回復されるためのものでした。
ですからペトロは「肉における残りの生涯を(神の御心に従って)生きるようになるためです。」と述べている訳です。この世の流れからキリストの道を生きるよう変えられました。
 
4:3 かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。
これに加えて、愛のない行為、人を分け隔てしたり、裁いたり、と言うことも思い合わせなければなりません。私たちの目は、神様の目線で見るようにすべきです。人々は傷つき心が閉ざされている事があります。ですから私たちは、常に親が子を見るような目線で人々を見る必要があります。世の原則からキリストの原則によって生きると言うことです。
 
4:7 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。
ペトロの時代、また、イエス様の御業から数十年しか経っていない時に既に、イエス様がもう一度来られるという思いを強くしていました。今の私たちは更に、緊張感を持って、世が救われることを熱心に祈らなければなりません。今の時が恵みの時である訳です。
4:8 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。
4:9 不平を言わずにもてなし合いなさい。
 
ガラテヤの信徒への手紙6:10に「ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。」とあります。外の人々に善を行うことを私たちは使命として頂いていますが、しかし、それ以上に信仰の友に善を行いたいと思います。
神の性質は、愛と義、そして聖潔です。愛には赦しがあり、また犠牲もあります。私たちは清く正しい愛をもって互いを思いやり、人々に接しなければなりません。
 
4:10 あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
私たちは素晴らしい賜物を授かっている一人一人です。私たちは被造物の中で神様の最高の作品として作られています。ですから私たちの中には沢山の可能性が秘められているということが出来ます。
自分を更に高め、人々の必要のためにそれらの賜物を生かして用いたいと思います。
イエス様が十字架に掛かられたのは、私たちの罪を完全に滅ぼすためでした。ですからこの世的な思いを十字架の前に差し出し、イエス様の思いを実現することのみに心を注いでまいりましょう。
 
 
 
 
 
 
<要約> 「キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、」(4:1)。私たちは皆自分の力だけで生きることを断念した者です。そして全てを献げれば神様の遺産の全てを受け取ることが出来るという恵みに与っています。このような恵みの始めは全てイエス様のその御業にに依ります。キリストによって人生を生きようとする者は素晴らしい選択をした者です。しかし、勿論、私たちは世の流れに従って生きていた所から、キリストの道に移った訳ですから、世からの迫害に遭う者となっています。ですからペトロは「キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。」(4:1)と勧める訳です。世からの迫害に対して良く抵抗し、忍耐力を養わなければなりません。そしてなおかつペトロは続けます。「肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。」(4:1)。神に自分を献げた者は、再び罪の誘惑に目を注いではなりません。そのようなものよりも神様の恵みが如何に大きいかを思い見、これを求めて前進していかなければなりません。「それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。」(4:2)。神様は私たちが、神と共に生きるものとして創造してくださいました。ですか、私たち人間は神様から離れて生きられるようには造られてはいません。神様の御言葉を越えて生きるならば必ず傷を受けることになるのは当然のことです。イエス様のその苦しみは、私たちが再び、神様と共に生きる、正しい生き方に回復されるためのものでありました。ですからペトロは「肉における残りの生涯を(神の御心に従って)生きるようになるためです。」と述べている訳です。この世の流れからキリストの道を生きるよう変えられました。
 
「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。」(4:8-9 )。ガラテヤ6:10に「ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。」とあります。外の人々に善を行うことを私たちは使命として頂いていますが、しかし、それ以上に信仰の友に善を行いたいと思います。神の性質は、愛と義、そして聖潔です。愛には赦しがあり、また犠牲もあります。私たちは清く正しい愛をもって互いを思いやり、人々に接しなければなりません。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(4:10)。私たちは素晴らしい賜物を授かっている一人一人です。私たちは被造物の中で神様の最高の作品として作られています。ですから私たちの中には沢山の可能性が秘めているということが言えます。自分を更に高め、人々の必要のためにそれらの賜物を活かして用いたいと思います。イエス様が十字架に掛かられたのは、私たちの罪を完全に滅ぼすためでした。ですからこの世的な思いを十字架の前に差し出し、イエス様の思いを実現することのみに心を注いでまいりましょう。