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「希望がある」(121028aza)
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資料 聖潔への道

創世記15:1〜7
15:1 これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」15:2 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」15:3 アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」15:4 見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」15:5 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」15:6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。15:7 主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」
 
 
前回、お話したことは、信仰の目標は、聖潔の世界に入ることであり、それによって「イエスのように」なる事と、言いました。そしてその聖潔を目指すためにまず、私たちには希望があることと、勝利が定まっていることを学びましょうと言うことでした。
今日は前回と同じく引き続き「希望がある」という事について見ていきます。前回は金魚を例にとって、神様は私たちが希望を持って歓喜にあふれて生きることを望んでおられるという事について学びました。神様が望んでおられると言うことは、当然応援もしてくださると言うことです。
ですからイエス様は言っています。マタイによる福音書「7:7 求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」
 
神様は私たちを応援しておられます。しかし、私たちが求めなければ神様は与えることが出来ません。神様は私たちが求めることを願っています。神様は今も「求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい。」と御声を掛けてくださっています。
 
ウクライナのオレンジ革命の切っ掛けとなったと言われている、サンデー・アデラジャ牧師は「簡単に現状に満足しないように」と言っています。例えて言うなら救世軍の士官候補生を10人、20人、30人、と求めていきなさい。ということです。
小隊で言うなら、会館が人で一杯になるようにしたい。とか、さらに体育館のような会館が必要にな位にしたい、と求めていくということです。
 
さて、今日のテキストではアブラハムへの約束というのがテーマになっています。アブラハムへの約束とは、言うまでもなく「星の数ほどにあなたの子孫を増やす」というものです。
 
創世記「15:5主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』」。
アブラハムの子孫はイスラエル民族となって、イエス様の時代に至りますが、アブラハムへの約束は、むしろ、イエス・キリストを通して、異邦人に向けられて行きます。ガラテヤの信徒への手紙3:29に次のようにあります。「あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」
 
つまり、アブラハムへの約束は今、私たちクリスチャンに引き継がれているということです。私たちクリスチャンは信仰によってアブラハムの子孫となり、相続人となっています。つまり、アブラハムへの約束、「星の数ほどにあなたの子孫を増やす」という約束を今、私たちクリスチャンが引き継いでいる訳です。
 
神様はなぜこのようにクリスチャンを祝福しようとしておられるのでしょうか。
申命記に「9:4 あなたの神、主があなたの前から彼らを追い払われた後に、あなたは心のなかで『わたしが正しいから主はわたしをこの地に導き入れてこれを獲させられた』と言ってはならない。この国々の民が悪いから、主はこれをあなたの前から追い払われるのである。」とあります。
つまり、神様は悪が滅び善が繁栄する事を願っていると言う事です。
神様はこの世界が、神の国の原則に従って営まれるようにと願っています。ですから神様の側に付く者を祝福することによって、そのことを実現しようとしている訳です。また、クリスチャンをリーダーとすることによって神様の掟に従って地上が統治されていくと言うことを願っています。ですから、私たちが神様に対して真っ直ぐであるならば、真っ直ぐで有るほどに、その祝福を受けることになります。
 
アブラハムへの約束は創世記17章にも記されています。「17:1 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。『わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。17:2 わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。』17:3 アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。17:4 『これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。17:5 あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。17:6 わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。』」
 
アブラハムへの約束は今私たちが受け取っています。「あなたを多くの国民の父とし、17:6あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。」(5、6)と言っています。神様は私たちを祝福し、更に地上におけるリーダーとしようとしています。
 
もちろんこの約束は無条件に与えられているのではありません、次のように言っています。「あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」(17:1)、これが条件です。これは旧約聖書時代の人たちは失敗をしましたが、私たちはイエス・キリストによって全き者となることが出来るようになっています。(キリストを前に悔い改める事)
 
私たちは神様のすばらしい約束を受け取るために、「希望がある」という事を心に刻んで、ひたすらにイエス・キリストへの全き従順というものを表していきましょう。
 
私たちが抱く希望はイエス・キリストへの信頼と比例しています。イエス・キリストへの信頼が大きくなればなるほど、希望はいよいよ大きく膨らんでいきます。しかし、その反対にイエス・キリストへの信頼が小さくなれば成るほどに、希望は小さくなってしまいます。
ですから、イエス・キリストへの信頼と従順が強くなればなるほど毎日を輝いて生きることが出来ると言う事です。
マルコによる福音書に「4:26 神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」
つまり、神の国は自(おの)ずから成長するということです。神の国の成長は私たち一人ひとりがいかに神の国になっているかどうかという事にかかっているということです。私たち自身が神の国になるならば、それによって神の国は成長を始めます。私たちはイエス・キリストへの信頼と従順によって自分自身の中に神の国を実現していくならば福音は自(おの)ずから成長し、私たち自身も神様の豊かな祝福に与ることになります。
「あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」(17:1)。これを実行してまいりましょう。
 
先月の野戦でガチョウと渡り鳥のガンについてお話しましたが、もう一度おさらいをしたいと思います。渡り鳥のガンとはつまり、アダムとエバがエデンの園で伸び伸びと過ごしていた時のことを表しています。彼らは神と共に歩み、動物や植物に囲まれ、その命を楽しみ、輝いて生きていました。
しかし、エデンの園から追放され神様に背を向けて生きていくうちに、かつての栄光は、その光を失っていきました。疑いや、失意、不安や、不信が入ってきました。これが空(そら)を飛ぶことが出来なくなったガチョウの状態です。
しかし今、私たちはもう一度創造の初めに立ち返ることが出来ます。イエス・キリストがその道を完成されました。私たちは今はガチョウのように低い自己価値観を持っているかもしれませんが、イエス・キリストの贖いによって渡り鳥のガンのように高いセルフイメージを持つことができるようになっています。
 
私たちは信仰によるアブラハムの子孫であり、イエス・キリストを信じる信仰によって神の子とされています。神の子である以上、神様の持っておられるすべての財産の相続人でもあります。ヨハネによる福音書「10:10わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」
私たちはイエス・キリストによって豊かな人生が約束されています。この豊かな人生を勝ち取るために神様の聖さの中を歩み、「イエスのように」なることを目指して前進してまいりましょう。