箴言14:34
14:34 慈善は国を高め、罪は民の恥となる。
マタイによる福音書5:16に「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」とあります。
私たちの主であり、また創造者であられる神様が栄光を受けられる方法、それは私たちが光となることであり、また立派な行いをしていくことだと言っています。つまり、私たちクリスチャンは人々の希望となる必要があると言うことです。
私たちが立派な行いをする原動力は神様が後ろ盾となってくださっているという信仰によります。私たちは神の子なので喜んでこれを実践しようとしています。決して義務感でするのではないと言うことを覚えておいて欲しいと思います。
私たちがもし、奴隷のように地を歩くのを人が見たなら、誰も神のもとに来たいとは願わないでしょう。悪魔はあらゆる方法を使ってクリスチャンが神を現すことを邪魔しようとしています。しかし、神の似姿である人々が社会において正しい位置に就くならば、多くの人々は、自分もその様になりたいと、神の元に来るようになります。
ですから問題は、悪魔が何をしているかではなく、それに対して私たちが何をしているかと言うことです。もう敗北に甘んじていてはなりません。神の栄誉を現すために立ち上がりましょう。もう私たちは敗北者として生きる必要はありません。
今日のテキストの箴言14:34節は「慈善は国を高め、罪は民の恥となる。」となっていますが、口語訳では「慈善」が「正義」と訳されています。つまり「正義は国を高め」と読むことができます。
私たちが正義に生きるなら、私たちは人生の状況と環境を超えて高くされることが出来ます。人々の希望となり、光となるために必要なことは、神の正義によって人生を建て上げていくと言うことです。これによって私たちは社会において正しい位置に立つことができます。
その時に人々は、私もあなたのようになりたいと、神を求めて集まってきます。
私たちはその人生の中で多くのものを諦(あきら)めてきたと言うことはないでしょうか。それを今実現することができます。神様を信頼していくならば、神様が導いてくれます。神様の約束に同意をするならば、神様は私たちを高めてくださいます。私たちの自己イメージは高められ人々が「好意を求めてくる」と言うことが実現いたします。
私たちはもう敗北に留まっている理由はありません。それは神様の約束を知らなかったことによる無知から来ていたことです。サタンは嘘つきです。サタンの嘘に同意をしないように致しましょう。テレビやラジオは私たちに否定的なイメージを植え付けようとしていますが、それらに同意をしないように致しましょう。それらはサタンの嘘にだまされている人々が発信しているものです。
クリスチャンは神の言葉に堅く立つ必要があります。神様の約束に堅く立つ者でありたいと思います。
世界が混沌としているのは神様を信じ、神の言葉を実践しようとしないために起こっていることです。今クリスチャンの一人一人が神の言葉によって生きることが求められています。
私たちクリスチャンには神様からの権威と力が与えられています。しかし、それを行使していないというのが現状です。神様が権威と力を神の子どもたちに与えているその目的は、世の不法に立ち向かい、神の秩序を地上に打ち立てるためです。ですから神様からの権威と力を用いて、神の御国の原則を世に示していかなければなりません。
神様からの権威と力が与えられている理由の第一は、まず、自分の生き方を変える権威と力が与えられていると言うことです。私たちは古い性質に妥協する権利は全く持っていません。自分を征服すること無しに、世界を征服することはできません。ですから自分に関しては確固(かっこ)として勝利する必要があります。
たとえ小さいと思っている罪でも、罪がまだ生活を支配しているうちは神様との関係について語ることができません。神様が治める場所に、罪が留まる余地はないからです。
イエス・キリストの力によって、神様の権威によって、自分の内に罪が生じることを止めることができます。罪は何時も、人の内に罪の思いをもたらすことによって始まります。しかし、攻撃してくる罪の思いに打ち勝つ権威を私たちは持っています。
神の言葉による、神の思いで心を満たし、神の言葉の上に生活を築いていきましょう。そのとき、神様を喜ばせる生活を送ることができ、私たちの内と周りに神の御国を推し進めることができます。
第二に、家族の中にも神の御国を確立する権威を私たちは持っています。家庭で祈り、神について語り、神の国の原則を広げるならば、遅かれ早かれ家族や親戚は救われます。それとは反対に罪と不法を甘受するならばサタンを撃退することはできません。
神の御国の原則は教会の中だけではなく、どこにおいても妥協のないものでなければなりません。神の義は私たちの周りから、家庭と家族から始まり、その後に地域社会に広めていくことが出来るものです。
私たちは自分の国に対して積極的な気持ちを持つ必要があります。クリスチャンは社会の光であり、現存する問題の答えです。私たちの弱点は、神様を知らない人々をしばしば批判をしていることです。私たちは人々を批判するのではなく、彼らが陥っている状態から抜け出す方法を示す責任があります。
人々が互いに傷つけ合っているのは、私たちクリスチャンがその役割を果たしていないためであることを覚えなければなりません。
私たちクリスチャンが与えられている神様からの権威と力によって、まず自分自身を征服しなければなりません。それが世界宣教の第一歩です。次に家族、親戚、地域社会、そして国に至ります。
国が正しく繁栄するためには正義によって国が治められていかなければなりません。「正義(慈善)は国を高め、罪は民の恥となる。」(14:34)とある通りです。
これを進めるためにその第一歩である自分を制することから始めてまいりましょう。そうすれば成すべき事は神様が啓示してくださいます。
<要約>
箴言14:34節は「慈善は国を高め、」となっていますが、口語訳では「正義は国を高め、」と訳しています。私たちが正義に生きるなら、私たちは人生の状況と環境を超えて高くされることが出来ます。これによって私たちは社会において正しい位置に立つことができます。その時に人々は、私もあなたのようになりたいと、神を求めて集まってきます。神様を信頼し、神様の約束に同意をするならば、神様は私たちを高めてくださいます。サタンは嘘つきです。サタンの嘘に同意をしないように致しましょう。テレビやラジオは私たちに否定的なイメージを植え付けようとしていますが、それらに同意をしないように致しましょう。それらはサタンの嘘に惑わされている人々が発信しているものです。
私たちクリスチャンには神様からの権威と力が与えられていますが、その目的は世の不法に立ち向かい、神の秩序を地上に打ち立てるためです。実現への第一は、まず、自分の生き方を変える権威と力が与えられていると言うことです。私たちは古い性質に妥協する権利は全く持っていません。自分を征服すること無しに、世界を征服することはできません。ですから自分に関しては確固として勝利する必要があります。たとえ小さいと思っている罪でも、罪がまだ生活を支配しているうちは神様との関係について語ることができません。神様が治める場所に、罪が留まる余地はないからです。イエス・キリストの力によって、神様の権威によって、自分の内に罪が生じることを止めることができます。罪は何時も、人の内に罪の思いをもたらすことによって始まります。しかし、攻撃してくる罪の思いに打ち勝つ権威を私たちは持っています。神の言葉による、神の思いで心を満たし、神の言葉の上に生活を築いていきましょう。そのとき、神様を喜ばせる生活を送ることができ、私たちの内と周りに神の御国を推し進めることができます。第二に、家族の中にも神の御国を確立する権威を私たちは持っています。家庭で祈り、神について語り、神の国の原則を広げるならば、遅かれ早かれ家族や親戚は救われます。私たちクリスチャンが与えられている神様からの権威と力によって、まず自分自身を征服しなければなりません。それが世界宣教の第一歩です。次に家族、親戚、地域社会、そして国に至ります。国が正しく繁栄するためには正義によって国が治められていかなければなりません。「正義(慈善)は国を高め、罪は民の恥となる。」(14:34)とある通りです。これを進めるためにその第一歩である自分を制することから始めてまいりましょう。