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「貴方の罪は赦されています」(100627ku)
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(ルカによる福音書7:36〜50)
コロサイの信徒への手紙2:13〜2:15
2:13 肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、2:14 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。2:15 そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。
 
 
ルカによる福音書7:36節からのテーマは「イエス、罪深い女を赦す」と言うものです。
 イエス様はファリサイ派の人、シモンから食事に招待され、席に着きました。そこへ罪深い女が香油の入った石膏の壺を持ってイエスに近寄り、涙でイエス様の足をぬらし、髪の毛でぬぐい、接吻して香油を塗りました。
 イスラエルの文化と日本の文化はだいぶ違っていますので何故このような場面が描かれるのが、私たち日本人には想像できませんが、一つには当時のイスラエルでは横に寝そべって食事をすると言うことでした。
 
そこに、罪深い女と言われる女性がやってきました。彼女は自分の生活は良くないと分かっていましたが、そこから抜け出すことが出来ないでいました。生活を変えようと思っても、「今さら良い人間になろうたって、今までの罪が帳消しになる訳じゃない。失敗するに決まっている」そう言う悪魔の声が聞こえてくる訳です。何度か挑戦しますが、やはり前科者との周りから、また自らを思い元の生活に戻ってしまいます。
 しかし、彼女は神の人メシアと言われるイエスのことを聞き、この人ならば私を救ってくれるのではないかと思い、尋ねてきました。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と心の中で訴えていました。
 
私たちが犯す罪は相手がいますが、最終的には罪は神に対するものです。神の赦しを受けるまでは私たちは良心の呵責から逃れることが出来ません。人はこの罪から来る責めの故に、人生を変える努力を貫くことが出来ないで居ます。
 
しかし、イエス様は泣きながら言葉には出しませんでしたが彼女の訴えに、応えてくださいました。「あなたの罪は赦された」と言われました。更に「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(7:50)と言われました。
 罪赦された彼女は、悪魔の声に対して「いいえ、でも神様は私を赦し、受け入れてくださったわ」と言って、罪深い生活から立ち上がる力を頂きました。
 
パウロはコロサイの信徒への手紙の中で言っています。「神は、わたしたちの一切の罪を赦し、2:14 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」(2:13-14)、リビングバイブルでは次のようになります。「13 あなたがたは、以前は罪の中で死んでおり、罪深い欲望を断ち切ることもできませんでした。そんなあなたがたに、神様はキリスト様のいのちそのものを、分け与えてくださったのです。それは、すべての罪を赦し、14 あなた方に不利な証書−−神のおきてに違反したことを記す明細書−−を、塗りつぶしてしまわれたからです。この罪の明細書は、キリスト様の十字架に釘づけにされて、無効となったのです。15 こうして神様は、罪を犯したあなたがたを責め立てる、サタンの力をくじかれました。そして、十字架でのキリスト様の勝利を、公然と示されたのです。この十字架によって、罪はすべて取り除かれました。」
 
罪の法則を断ち切る方法は次のようになります。
@ 13 あなたがたは、以前は罪の中で死んでおり、罪深い欲望を断ち切ることもできませんでした。−−これは以前の状態を示しています。罪が私を責め立てるので、罪を断ち切ることが出来ませんでした。
A そんなあなたがたに、神様はキリスト様のいのちそのものを、分け与えてくださったのです。−−「キリスト様のいのち」とは、私たちの罪を無効とするために流された血潮を指しています。つまり「14 あなた方に不利な証書−−神のおきてに違反したことを記す明細書−−を、塗りつぶしてしまわれ」ました。「この罪の明細書は、キリスト様の十字架に釘づけにされて、無効と」なりました。
B 15 こうして神様は、罪を犯したあなたがたを責め立てる、サタンの力をくじかれました。−−もうサタンからの「そんな立派なことを言っても、今まで沢山の罪があるではないか」と言う声に、あなたの声は私には何の力もありません、と言うことが出来るようになりました。
 イエス・キリストの十字架によって、私たちの罪はすべて取り除かれました。
そして、それは完全なもので二度と繰り返す必要のないものです。
ですから私たちは次のように宣言することが出来ます。
「一度だけそのいけにえは捧げられました。二度と繰り返されることはありません。それに信頼する者を完全にする全きいけにえでした。」
「イエス様がなされたことと、それが私達の中でもたらした結果は完全であり、永久に完成されたものです。その御業から何も切り裂くこともできないし、何も追加する必要もありません。神様がなされたことは完成された、完全な、究極のものです。」
 
週報に小隊の信仰目標として、「殻を脱ぎ捨て祝福の全部を現す」と言うのを載せていましたが、今週から(まずありのままの自分を現す)と言うのを追加いたしました。殻を脱ぎ捨てる、つまり呪いを断ち切ると言う事ですがこれはマイナス面から見た言い方になります。プラス面からの言い方として「ありのままの自分を現す」と言う事です。そこには不満足な面も現すことになりますが、その事によって自分の課題に気付くことが出来ます。「祝福の全部」を頂くためには自分の課題を認識することがまず必要です。
 そのための方策が「まずありのままの自分を現す」と言う事です。
 
私たちはすべての罪が赦されていますから、ついでも、普段着でありのままの自分でいることが赦されています。それはありのままの自分が神様に受け入れられているからです。ですから隠さなければならないことは何もありません、と言うことが出来ます。
 但し、神に反逆している部分がある時は「ありのまま」の完全性が失われ、不完全な「ありのまま」になってしまいます。「ありのまま」でいられる唯一の条件は神に対して従順であり、神の言葉に全き信頼をし、神の言葉に全くお従いしていると言うことです。
 
今日のテーマは「貴方の罪は赦されています」と言う事でしたが、メインのテーマは隠されていました。それは「ありのままの自分を現す」と言う事です。
 これが出来るのは「貴方の罪は赦されています」と言う事を自覚していることによって出来ることだからです。
 
「2:13b 神は、わたしたちの一切の罪を赦し、2:14 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。2:15 そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。」(コロサイ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<要約> 私たちが犯す罪は相手がいますが、最終的には罪は神に対するものです。神の赦しを受けるまでは私たちは良心の呵責から逃れることが出来ません。人はこの罪から来る責めの故に、人生を変える努力を貫くことが出来ないで居ます。しかし、罪深い女と言われた人はイエス様から「あなたの罪は赦された」、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(ルカ7:50)、との言葉に新しい生活に進む力と継続する勇気を頂きました。パウロは次のように言っています。「13 あなたがたは、以前は罪の中で死んでおり、罪深い欲望を断ち切ることもできませんでした。そんなあなたがたに、神様はキリスト様のいのちそのものを、分け与えてくださったのです。それは、すべての罪を赦し、14 あなた方に不利な証書−−神のおきてに違反したことを記す明細書−−を、塗りつぶしてしまわれたからです。この罪の明細書は、キリスト様の十字架に釘づけにされて、無効となったのです。15 こうして神様は、罪を犯したあなたがたを責め立てる、サタンの力をくじかれました。」(コロサイ2:13-15リビングバイブル)
 
罪の法則を断ち切る方法は次のようになります。「@ 13節、過去の罪が私を責め立てるので、罪を断ち切ることが出来ませんでした。A 14節、キリスト様の流された血潮によって私たちの罪を無効とされた。私たちの不利な証書−−神のおきてに違反したことを記す明細書−−を、塗りつぶしてしまわれました。B 15節、神様は罪を犯したあなたがたを責め立てる、サタンの力をくじかれました。」 イエス・キリストの十字架によって、私たちの罪はすべて取り除かれました。それは完全なもので二度と繰り返す必要のないものです。ですから私たちは次のように宣言しましょう。「イエス様がなされたことと、それが私達の中でもたらした結果は完全であり、永久に完成されたものです。その御業から何も切り裂くこともできないし、何も追加する必要もありません。神様がなされたことは完成された、完全な、究極のものです」。私たちはすべての罪が赦されていますから、いつでも普段着でありのままの自分でいることが許されています。それはありのままの自分が神様に受け入れられているからです。隠さなければならないことは何もありません。ですから「ありのままの自分を現す」ことにしましょう。これによって自分の課題に気付くことが出来、これが「祝福の全部」を頂く近道となります。自分を隠していたのでは成長は出来ないのです。この祝福の条件は「神に反逆しない」、これだけです。