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-真理と正義を愛し- 前へ / 後へ -神の国の原則を打ち立てる-
「秩序と正義の旗手」(100711ku)
 
ペトロの手紙T2:9
2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
 
 
 
私たちは誰でも神様からの使命が与えられています。それが約束の地です。それを発見し治めることは私たちにとって素晴らしい祝福です。またその事は国をも変え、国を救う事になります。
 
神様は全宇宙を作った時、その中心に地球を据えられました。そして人間にその地を治めるようにと言われました。
創世記1:26「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚(うお)、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』」
 最初の人アダムは地を支配するために神に似せて創られました。アダムは神と親しく語り合い、エデンの園を整え管理していました。エデンの園には神の国の栄光があり、人はその栄光を増し加える役割を担っていました。ところが人が罪を犯したことで、神の国の栄光は人を去りました。そして人生のあらゆる場面に悲劇が忍び寄ってきました。
 
しかし、神様は当初の計画を捨てた訳ではありませんでした。地上に神の国を回復させる計画を持っておられました。ハバクク書で次のように預言されています。
ハバクク書2:14 水が海を覆うように/大地は主の栄光の知識で満たされる。
この預言はイエス・キリストの到来によって実現しました。失われたものが、戻ってくる。第二のアダム、イエス様によって神の計画が完成されつつあります。
 これについてパウロは次のように述べています。
ローマの信徒への手紙5:12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
 
しかし、神様は、悪魔から力と権威を取り戻し、人間に地上の統治権を再び与えるために、イエス・キリストを犠牲として献げられました。
ローマの信徒への手紙5:17 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
 
アダムに最初に与えられた権威と力とをもって行動すること、それが、神様が私たちに期待しておられることです。
私たちはすでにエデンの園に戻っています。私たちの権威はすでに回復しています。
イエス様は「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」(マタイ28:18)と言いました。だれでもイエス様のところに来て罪を悔い改めるならば、イエス様の聖さ、正しさ、力、そして権威が与えられます。
 ですから神様は私たちのことを地上の王、祭司と呼んでくださいます。
ヨハネの黙示録5:10「彼らをわたしたちの神に仕える王、/また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。」と有る通りです。
 
神様はご自身の国を超自然的に拡げるようなことはなさいません。人から生きる目的を奪うことになってしまうからです。神の国を拡大するのは私たちの仕事です。友人、家族、地域社会、国の人々の贖いは、教会の行動にかかっています。教会が腐敗と戦わなければ、腐敗は国中に広がります。教会が不品行に反対しなければ、社会はどんどん無法状態に陥っていくでしょう。神はすべての国々において、教会が秩序と正義の旗手となるようにと願っておられます。
 使徒ペトロは次のように述べています。
ペトロの手紙T2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民(こくみん)、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
 
街頭給食を担当していた頃、よく公園の使用許可を貰っているのですか、と尋ねられることがありました。その時は「ホームレスへの支援をしているので行政は何も言いませんよ」と答えていました。街頭給食では問題はありませんが、その様な考え方が敷衍(ふえん)され、良いことをしているのだから多少の法律違反は許されるでしょう。となり、組織の維持のためには多少の不正は許されるだろう、と考えてしまうところがありました。
 
しかし、これは厳に慎まなければなりません。なぜなら私たちは「何をしたか」、或いは「何が出来るか」ではなく、「何であるか」と言う事の方が、依(よ)り重要だからです。
 前鳩山内閣は良い働きを進めていましたが、結局「クリーンな政治を目指しましたが首相自身への不信感を取り除くことが出来なかった」と言って総辞職しました。クリーンな政治を進めるためには自身がクリーンでなければ、それを進めることは出来ません。
 
それと同じく善を行うには、自らも善であることが求められています。良いことを行うという点では、悪人でも良いことをしています。しかし、その様な所では最終的には失敗に終わることになります。
 
イエス様は言っています。
マタイ 7:17すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。18良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
ルカ6:43悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。
 
私たちの約束の地に於いてはすべての点に於いて「良い木」としていきたいと思います。そのためにまず自らがイエス様による聖さと、正しさ、力、そして権威を持って治める者でなければなりません。
 
最後に罪の性質について確認いたします。
ヨハネの手紙T3:4 罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。3:5 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。3:6 御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。3:7 子たちよ、だれにも惑わされないようにしなさい。義を行う者は、御子と同じように、正しい人です。3:8 罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。
 イエス・キリストの贖いの業は悪魔の働きを完全に滅ぼすためでした。決して私たちは自分を守るために、或いは現状維持のために悪に目をつぶることがあってはなりません。「教会が秩序と正義の旗手」である事を自覚していきましょう。
 
3:9 神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。この人は神から生まれたので、罪を犯すことができません。3:10 神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしない者は皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さない者も同様です。3:11 なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。3:12 カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。
 
私たちは確認いたします。
正義によって神の国は実現し、建て上げられていくものであることを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<要約> 神様は全宇宙を作った時、その中心に地球を据えられました。そして人間にその地を治めるようにと言われました。最初の人アダムは神と親しく語り合い、エデンの園を整え管理し、そこには神の国の栄光がありました。ところが人が罪を犯したことで、神の国の栄光は人を去り、そして人生のあらゆる場面に悲劇が忍び寄ってきました。しかし、神様は当初の計画を捨てた訳ではありませんでした。地上に神の国を回復させる計画を持っておられました。その計画はイエス・キリストの到来によって実現しました。パウロは次のように言っています。「一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。」(ローマ5:18) アダムに最初に与えられた権威と力とをもって行動すること、それが、神様が私たちに期待しておられることです。私たちはすでにエデンの園に戻っています。私たちの権威はすでに回復しています。神様はご自身の国を超自然的に拡げるようなことはなさいません。人から生きる目的を奪うことになってしまうからです。神の国を拡大するのは私たちの仕事です。友人、家族、地域社会、国の人々の贖いは、教会の行動にかかっています。教会が腐敗と戦わなければ、腐敗は国中に広がります。教会が不品行に反対しなければ、社会はどんどん無法状態に陥っていくでしょう。神はすべての国々において、教会が秩序と正義の旗手となるようにと願っておられます。
 
街頭給食を担当していた頃、良いことをしているのだから多少の違反は許されるでしょう、と考えてしまうところがありました。しかし、これは厳に慎まなければなりません。なぜなら私たちは「何をしたか」、或いは「何が出来るか」ではなく、「何であるか」と言う事の方が、依り重要だからです。善を行うには、自らも善であることが求められています。イエス様は言っています。「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。」(マタイ7:17-18)私たちは秩序と正義の旗手として約束の地を発見し治めていきましょう。