ルカによる福音書21:12-15
21:12 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。21:13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。21:14 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。21:15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。
1945年8月15日は先の戦争で日本が無条件降伏をした日です。これは今の私たちは誰でも知っていることですが、しかし、言論の統制、メディア統制がされていた当時の多くの人々は、当日になって分かったことです。
その当時の人々がどのような気持ちで8月15日を送ったのかは想像が出来ませんが、その一ヶ月半前に徴兵令を受けて入隊した、神学生がいました。これは「キリスト者であること日本人であるここと」と言う本の中で紹介されていた記事ですが、彼はまもなく、身上調査のため面接を受けたのですが、その面接の人から「天皇とキリストとどちらが偉いと思うか」と問われました。
彼は、帝国陸軍は絶対不動のもののように思われたので、「天皇のほうが偉いと思います」と答えたと言うことでした。しかし、一ヶ月半後には、その絶対不動と思われた帝国陸軍は地球上のどこにも存在していなかったと言うことです。
彼の心は受難者としての意識は影をうすめ、次第に背教者としての意識が強く心を占めていった、と言うことでした。
平和な今の時代にはなかなか、イエス・キリストを証しすると言うことには困難があります。無関心という困難です。ましてや、警察や役所などの公的な場所でイエス・キリストの証しすると言うようなことは不可能に近いでしょう。
しかし、クリスチャンにとって逆境の時代であった先の戦時下に於いては、公的な立場の人から「イエス・キリストとはどなたですか」と聞いてくれた訳です。
歴史を司(つかさど)っている神様は先の戦争を通して、日本の国をもキリストの国としようとしておられました。それはつまり天皇は神だという国に対して、「いやそうではない、父なる神こそが本当の神だ」、と知らせようとしていた訳です。
ところが、残念なことに日本のクリスチャン達は、素晴らしい証言の機会を有効に用いることをしませんでした。
日本で信仰者が試練の中にあった頃、韓国でも同じ状況がありました。しかし、韓国ではクリスチャン達の対応は日本のそれとは違っていました。証言をするよい機会として信仰告白が成されていった訳です。
同じくドイツのクリスチャン達も試練の中にありました。
アドルフ・ヒトラー率いる政権側は教会にもアーリア条項、つまり、民族主義を持ち込もうとしました。しかし、これに対して正しい信仰告白をする教会の連携を図って、抵抗を続けていきます。政権側はあらゆる手段を使って教会の妨害、迫害をしていきました。1935年には政権側の、教会に対する干渉は「新しい異教」をもたらすものだとして、これに対する警告文が告白教会の聖日礼拝の中で読み上げられました。
このために715名の牧師が逮捕・投獄されましたが告白教会の教会闘争はナチス・ドイツの崩壊まで続けられました。
困難な中にあるクリスチャンを覚えて次の御言を朗読したいと思います。
マルコによる福音書/ 08章 38節
神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」
逆を言うならば、イエス・キリストを証しするよい機会とするならば、やがてイエス様の前に立つ時お誉めの言葉を頂けると言うことです。
マタイによる福音書/ 05章 11節
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。:12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
迫害されるというのは、名誉なことで、クリスチャンが光として認められたという意味でもあります。また、それだけ関心を持たれていると言うことでもあります。
更に、それだけ関心を持たれている中で証言のよい機会が与えられると言うことです。「喜びなさい。大いに喜びなさい。」(:12)、これがイエス様からの励ましの言葉です。
今、神様はもう一度この日本をイエス・キリストの国と呼ばれるようにしようとしておられます。それはクリスチャンにとっては逆境の時代となります。しかし、それはクリスチャンが証言をするよい機会である訳です。
ですから、今、私たちは、その時を思って、自分はどういう態度を取るべきなのかをイメージしておく必要があります。
正しい信仰告白とは、マタイによる福音書16:15に記されています。イエス様が弟子達に尋ねて言いました、「「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」:16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。」とあります。つまり、正しい信仰告白とは「イエス・キリストは生ける神の子です」と告白することです。
古代ローマの時代にクリスチャン達が厳(きび)しい迫害のなかにも信仰を守り通し300年の年を経てローマはイエス・キリストの国と呼ばれるようになりました。その先達者の故に今の私たちは神と共に歩む人生へと導かれている訳です。
彼らがもし、自分を守ることを優先して「カエサルの方が偉いです」と答えていたならば、今の私たちは今なおサタンの奴隷として、その苦しみから解放されることはないでしょう。
今の私たちはどのように、この世で生きていくべきなのでしょうか。ペトロが主を裏切った時どのような悔改めをしたのでしょうか。それは、使徒言行録に記されている記事を見ると分かります。議員や長老たちに尋問されたペトロとヨハネは次のように答えました。(4:19)「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。:20 わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」と言っています。
逆境の時こそよい証言の機会です。この時に信仰に入った人々の数は男の数で「五千人ほど」と4:4節に記されています。逆境の時こそリバイバルの時ということが出来ます。
イエス様は、ヨハネによる福音書/ 11章 25節で
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」と言われました。つまり、私たちには命以上に大切なものが有ると言うことです。 命はイエス様が守ってくださるので、私たちは命を守らなければならないという不安から解放されます。私たちは次のことに注意を払っていれば良いと言うことです。つまり、マタイによる福音書/ 06章 33節
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と言うことです。神の義とは、つまり、神の言葉です。
神の言葉を行っていく時に私たちは、地の塩、世の光とされていきます。その時に、更に、証言のよい機会が与えられていきます。
マタイによる福音書10:16、 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。10:17 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。10:18 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。」。
私たちは今、証言のよい機会が与えられようとしています。ですから「イエス・キリストは生ける神の子です」と告白することが出来るようにしておきましょう。
マタイによる福音書10:32で、「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。」と言われています。
イエス様は「私はイエス・キリストに全てを献げた者です。」という人に、やがて天に於いてイエス様の前に立つ人々に、イエス様も、「『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 」(マタイ25:21)と言われることでしょう。また、「わたしの兄弟達よく来てくれた、奥でゆっくり休んでくれ。」と言われるのではないでしょうか。
ルカによる福音書21:12「しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。21:13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。」
いよいよ私たちは福音を恥としない姿勢を硬く持ってまいりましょう。