イエス・キリストは2000年前に次のように言いました。(マタイ16:2)「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、(3)朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。」
空模様については、今日(こんにち)では、天気予報が出ているので、これさえ見て行けば間違いありません。
しかし、イエス・キリストが言っていることは「時代のしるしは見ることができないのか。」と言う事です。つまり、今はどのような時代で、未来はどうなるのか、と言う事について「あなた方は分かっていませんね。」と指摘している訳です。
イエス・キリストは、世界の真実を見るように、と薦めています。「あなた方は目に鱗(うろこ)が掛かっているので見分けることが出来ていません。」と指摘しています。
私たちは今現在(いまげんざい)が満足出来る生活が出来れば良いのでしょうか。良い仕事に就けていれば良いのでしょうか。健康で平和に過ごせていれば良いのでしょうか。
このような願いは大変良いことです。大いに求めてください。
しかし、これらのものは何の考えも無しに求めて行っても得られるものではありません。人間とは何か、人生とは何か、という基本を知っていなければ、必ず失敗します。
それでは素晴らしい人生を獲得するための真実をお話し致しましょう。今の私たちの状態を例えて言うならばガチョウに例えられます。ガチョウは古代エジプト時代に、渡り鳥のガンを家畜化したものです。
ガチョウの特徴は@人間に飼われている限りは食べ物には困らない。A但し、飼育(しいく)小屋はあまり奇麗ではない。B祖先の渡り鳥のガンのように空を飛ぶ事は出来ない、と言う事です。
さて、皆さんの性質に次の様なものがあるでしょうか。@自分の容姿や性格が好きになれない。A新しい事をしようとする時、失敗するような気がして不安になる。B物事が上手(うま)く行かない時、社会が悪いからだと思ってしまう。C人の噂話や、悪口を言ってしまう。D将来に希望が持てない。
これらの性質が一つでもあるならば、それは、ガチョウ症候群という病気に掛かっています。これを治さない限りは、先に述べました、満足出来る生活、良い仕事に就く。健康で平和に過ごす、と言う事を実現する事が出来ません。
何故(なぜ)でしょうか。もう一度ガチョウの話しを致しましょう。ガチョウの祖先は渡り鳥のガンです、と言いました。つまり、ガチョウの祖先である渡り鳥のガンは何千メートルもの上空を飛び、素晴らしい雄大な地球を眺めながら気高く尊厳を持って飛んでいます。実は私たち人間の本来の姿は「渡り鳥のガン」に例える事が出来ます。つまり、私たち人間の本来の姿は、何千メートルもの上空を飛び、素晴らしい雄大な地球を眺めながら気高く尊厳を持って飛ぶ存在であると言う事です。そのように気高く尊厳を持って生きるのでなければ素晴らしい人生を獲得する事が出来ません。
今はガチョウのように地を這うような低いセルフイメージをもって生きているので、将来に希望を持つことが出来ないのです。勝利の人生を勝ち取る事が出来ません。
イエス・キリストは、世界の真実を見るように、と薦めました。しかし、「あなた方は目に鱗(うろこ)が掛かっているので見ることが出来ていません。」と指摘しましたが、イエス・キリストはその世界の真実を示すために私たちの世界に来られたお方です。
世界の真実、それは私たち人間の本来の姿は、何千メートルもの上空を飛び、素晴らしい雄大な地球を眺めながら気高く尊厳を持って飛ぶ存在であると言う事です。これが、イエス・キリストが私たちに教えてくださった真実です。
イエス・キリストはその真実を示すだけではなく、私たちが本来の姿に回帰するための道を造ってくださいました。それが、イエス・キリストの十字架における死と、3日目の復活です。十字架の死は、神の人間に対する愛を示しています。3日目の復活はイエス・キリストが神の子である事を証明しています。また、イエス・キリストが語った事が全て真実であると言う事を証明した事にもなります。
イエス・キリストは言いました。「わたしが来たのは、(人)が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」(ヨハ10:10)、と。つまり、私たちが豊かな人生を歩むようになるために、イエス・キリストはこの地上に降り立ち、その道を実現いたしました。
私たちは今、低い自己イメージ、低い自己価値観を持っているかもしれません。しかし、皆さんがイエス・キリストと共にあるならば、素晴らしい尊厳と権威をもって生きる者と変えられます。
皆さんは今、人々から傷を負わされたり、無視されたり、拒絶を経験する事によって、心に大きな傷を持っているのではないでしょうか。そのような傷を癒さない限り、人間本来の豊かな人生に入る事は出来ません。イエス・キリストはその癒し主です。幼い子供が心に傷を受けた時、母親や父親に抱(いだ)かれる事によって、その傷が癒されます。
それと同じように私たちも、心に傷を負う時には、大きな愛に包まれる必要があります。
イエス・キリストは言いました。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハ15:13)、と。そして先ほども言いましたようにイエス・キリストは、私たちの豊かな人生のために、十字架に掛かって死んでくださいました。自らの言葉を実践された訳です。
イエス・キリストはすべての人の、心の傷を癒す事の出来るお方です。イエス・キリストは言いました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(29)わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタ11:28)、と。
また、次のようにも言っています。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙3:20)、と。誰でも心を開くならばイエス・キリストは友となってくださいます。
イエス・キリストは、その、大きな愛をもって、私たちに豊かな人生と、祝福された人生と、更に、健康で平和な人生を与えようとしておられます。
イエス・キリストと共に歩む人生に入る事を決心されますよう、お薦めいたします。